日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の枚数数え」

◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の枚数数え」

 どうやら死なずに済み、遺産分与とはならなかったようなので、かつての知己を中心にサービスしてあげようと掲示したが、今回の雑銭については食いつきがなかった。

 最初のひとつに食いつかぬなら、次のにも無いので、ここで掲示を停止し、息子に与えネットやメル※※に場を移すことにした。ちなみに、あと十セットくらいあったのだが、雑銭提供は以後閉止することにした。

 

 この折に、ひとつ目の「雑銭A」について、サンプル的に開いて枚数を数えてみた。

 設定は2キロで、基準を四百枚としてある。

 ちなみに、これはNコインズO氏の所沢の倉庫にあった雑銭だが、業者さんは撰銭をしないので、事実上、未見品とほぼ同じ意味だ。だが、梱包などの時に、母銭などは「立ってしまう」ことがあるから、さすがにそういうのは無い。

 この品を預かった私も一文銭を掌に載せることはない。関心の対象は、奥州南部藩の貨幣で、これは概ね当四銭だ。関東の一文銭であれば、完全スルーの扱いだ。

 収集家は細かく煩いから、「見たカス」前提で評価すれば文句が出ぬし、それで渡した品の中に何か目ぼしい品があれば、きっと喜ぶ。

 「未選別」で出せば、下値@35円からが普通だが、関東であればまずは何も出ない。

 こと関東は、「雑銭買い」にとっては不毛の地だ。

 

 さて、規定は「2キロ前後」「四百枚はある」としたが、単純計算では、一文銭は3.3㌘から3.5㌘が標準重量で、かたや当四銭は5.3㌘付近となる。

 2キロなら六百枚前後の枚数になる筈だが、あえてこれを「四百枚」としたのは、「サービス」ということ。どうやら以心伝心とは行かず、まったく伝わらなかったようだ。

 

 これをシートの上で拡げ、実際に数えてみると、六百五十六枚だった。

 となると、枚単価は6.9円となり、「ただ同然」の設定だ。

 袋入りの外見しか見えずとも、「この状態ならほとんど触られていない」ことが分かる筈だが、それも「雑銭を見慣れた者なら」という条件が付く。

 ま、損得を考えるなら、雑銭を検分するよりも、オークションで必要なものを入手する方がお金が掛からない。お金が掛からぬ一方、知識も深まらぬから、いずれにせよ一長一短があるということ。

 

 一枚一枚手に取っては見ぬのだが、枚数を数える時に輪側には触る。

 そうすると、指に感じる鑢の違和感で、密鋳銭の類はすぐに分かってしまう。

 今回、輪側が横鑢、斜め横鑢だった一文銭は数枚程度。割と少なかった。これはすなわち「奥州から出たものではない」という意味だろう。

 ま、一枚ずつ手の上に乗せて見たりはせぬから、詳細は分からない。

 何十万枚も触れていれば、ちょっと触っただけで色んなことが分かる。

 

 ついでなので雑銭の想い出について記す。

 Oさんの晩年は、古鏡の方に関心を寄せていたようで、古銭類を次々に売却しては古鏡を買い取っていたようだ。旧店舗の二階にあった南部銭の美銭セットは早々に関西に行ったようだし、「七枚揃ったら私に」と約束していた「仰寶七福神銭」も六枚の段階で、どこかに売られてしまったようだ。

 雑銭類も倉庫全体に溢れていたが、ある時、花巻の店を訪れた時に、その雑銭の梱包が始まっていた。一文銭は三四十万枚はあったのだが、箪笥に入っていたり、麻袋に入っていたりと様々だった。

 「どうしたのか」とO氏に問うと、「秋田のSさんのところに行く」との返答だった。

 Sさんとは、それまで手紙のやり取りがあり、研究報告を幾度も送って頂いたのだが、「雑銭買い」をそこまで徹底していたとは知らなかった。

 その時にOさんがSさんに売却するのが「一文銭がざっと三十万枚」だった。

 大変な散財だ。枚単価で@20円でも六百万になるが、それは「収集家の見たカス」値段であって、ネットに出る水準程度のものだ。

 枚数が枚数だけに、普通よりも値引きしたろうが、@30円に近い金額を出している筈だ。私なら@28円とか@26円でお願いしたいところ。いずれにせよ七八百万に上る金額だ。

 誰もが知る有名な原母銭にその金額を出す人はいるだろうが、それだけの雑銭を買う人が現実にいるだろうか?

 一文銭は、枚数の割には拾い物が少ないのに、それをあえて実行するところはよほどの執念が無くては出来ない。ま、「分類を試みる」なら、何万枚か検分することが必要だから、当たり前ではある。同一銭種なら数千枚だ。

 かなりの現金が溶けてしまう。

 よって、それ以後は、Sさんには最大限の敬意を払うようになった。

 後輩にきちんと情報を教えてくれるし、その裏付けが撰銭だ。

 「あらまほしき(望ましい)先達」の最たる人がSさんだった。

 何故、Sさんが一度に何十万枚の枚数を入手することにしたのかは、その後、Sさんがご病気で亡くなられたことを知り、何となく想像がついた。

 あの時、Sさんは既にご病気で闘病中だったのだ。命の続く限り探究しようとの思いが、何十万枚もの撰銭を志す脊柱になっていたのだろう。

 世の中は新盆から旧盆に向かう季節だが、敬愛する師匠であり先輩であったOさんSさんのご冥福を改めてお祈りしたい。

 

 さて生憎、私の方は執念を燃やすジャンルは古銭ではないので、十年以上前から「断捨離」を行って来たわけだが、それももうすぐ完了する。

 サービス週間もこの辺で終わり、「お務め御免」が間近に迫っている。

注記)推敲や校正をしないので、不首尾はあると思う。収集家に対し失礼な記述も多いと思うが、本音の一部だ。普段は実名で語っている。「なんだかんだ言ってもアイツはコソ泥だ」。

 さ、ここに収集家が来ても、楽しい話はないので、なるべく来ない方がよいと思う。