日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(さらに続き)

◎古貨幣迷宮事件簿 『納戸の中から』(さらに続き)

 麻袋の裏には、木箱入りの雑銭が隠れていた。

 概ね終了したかと思っていたが、まだ先があるようだ。

 ビニール袋入りは、七八年前の売り立て会出品物の残り。数十キロずつ複数のルートで分譲したが、さすがに幾らかは残った。売れ行きがよかったのは古寛永で、希少品の報告が複数例寄せられた。

 ま、預かり物だから梱包するだけで右から左。捌くのに精一杯で、内容物については殆ど知らない。残ると「責任買い取り」で、自分が買わねばならんので当たり前だ。

 うろ覚えだが、少なくとも雑銭だけで260キロはあったから、どう捌くかの方が重要だった。

 コレクターの側から見ると、「雑銭買いの銭失い」と言って、損得勘定を考えたら、選り分けてあるものを業者さんなり入札なりで買うのが最も安価だ。

 五千枚買おうが数万枚買おうが、珍しい品が混じっている保証は何もないし、実際、何ひとつ見つからぬことの方が多い。

 ただ、「混ざり方」「流通状況」は実際に流通した状態を見なければ分からない。

 一枚ずつ欲しい品だけを集めても、知見の方はあまり深まらない。

 旧家や解体屋、買い出しと面識があり、幾度か蔵を見せて貰ったり、売り立てに立ち合わせて貰ったりもした。

 何故こういう状態になったのか憶測がつくのは、そういった経験で得た知見による。

 

 藁差しひとつとっても、括り方で色んなことが分かる。

 幕末以前の括りなら、「九六」と言って「差し銭にしてあれば九十六枚で百文と見なす」習慣があった。(この枚数は、時代や地方によって若干の違いがある。)

 一文銭百二十五枚の括りなら、二本で二百五十文、すなわち銀一朱に相当する。

 これがきっちり百枚ずつ括られるようになるのは、維新後のことが多くなる。

 昭和二十年台まで、寛永銅銭は現行貨だったわけだが、一枚が一厘だから、百枚で十銭だ。括ってあれば数えやすい。明治大正の括りはこの用途だ。

 さて、かなり端折って書いたので、話が飛んだかもしれぬ。ま、こういうのは自分で調べるべきだ。

 かくして、慣れた者ほど、包みをよく観察する。箱なのか俵なのか、括り紐はどうなのか。

 しかし、半分以上の収集家は、外側を殆ど見ずにバラしてしまう。おいおい。

 

 画像中央の差し銭四本のうち、三本は「通し直し」だ。恐らく昭和三十年代から四十年代に、誰かが整理用に通した。幾らか寛永通寶の知識がある者のようで、明和と文政の混じり方が不自然になっている。

 うち短い差が一本あるのだが、これだけが竹の皮をよった紐で通している。この場合、解くのは困難だから、結ばれてからは恐らく一度も解かれていない。

 横を見れば、概ね青銭すなわち明和の銭だから、「見るまでもない」と判断したということだ。経験が増せば増すほど、明和のことは見なくなる。

  逆に言えば、明和の希少銭を掘り出せる者は、きちんと検分する者になるし、また仮にそれが「見たカス」に見える雑銭でも可能性が残っているということだ。

 実際、「大字」の所在をイメージして明和を見る者はいない。

 「そんなものがたまたまここにあるわけがない」と思うからだ。だが、事実の方が創造をはるかに超えていて、私は「文久銭仕様の寛永銭」と発見している。

  加えて、怖ろしいことに、奥州出の雑銭なら、踏潰みたいな銭種は概ね明和の差に混じっている。現実にはなかなかしんどいが、明和を甘く見たらダメだ。

 

 さて、以前、コレクター所蔵の雑銭を何万枚か引き取ったことがあるが、コレクターの持っていた品=既に検分したものと見なしていた。

 うち「千枚通し」が二本あったが、いずれも麻縄通しだった。括ってあることには、本来、意味も意義もあるわけだが、「コレクターの通し直し」ならそれも薄い。評価は「縄で千枚括ってある」ことだけだから、一枚単価35円の値で引き取り、そのまま雑銭の会を通じ会員に分譲した。

 その当時は文政小字などの細分類などは行われていなかったから、状態が少し劣る文政は売れず、明和だけ下値で引き取る人がいた。外見上、明和の方がきれいだった、ということだ。

 仕方なく、私個人で文政の千枚通しを引き取り、勉強のため結び目を撮影し、それを解き・・・と進んで行くと、あれまびっくりで、大字が二十枚以上出て来た。一方、大頭通などは数枚程度だったと思う。だが、四十枚くらいは分かりやすい役付きだ。

 こういうのは滅多に有り得ない。

 ここでいう「コレクター」は奥州の人だが、地元の貨幣以外にはまったく興味がなかったらしい。差しを崩すこと自体を嫌い、見なかったのだ。(後に私もそうなった。)

 差し銭が「明和主体」「文政主体」だということで、検分しなかったということ。

 実際、括ってある方には付加価値が付く。バラせば概ね価値はかなり下がる。

 これを知り、私はここで思わず叫んだ。

 「イケネ。明和の千枚通しを出しちゃったじゃないか」

 前段に記した通り、奥州のウブ銭であれば、明和の塊の中に踏潰や延展銭が混じっている。

 それなら判別は簡単で、縄を解くまでも無く、輪側を確認するだけで事足りた。

 わざわざ経費をかけて遠くまで出掛け、経費を控除して会員に渡すなど、ボランティアもいいところだった。

  扱う量が多くなるとこんなことも起きる。よって、業者さんの持つ雑銭を甘く見たらダメだ。業者さんは趣味ではなく、利益を得るために売買を行っている。雑銭なら一括で売って、そこで利益を出した方が早いから、あれこれ手を入れたりしない。

 

 注記)記憶を頼りに一発殴り書きで記している。推敲も校正もしないので不首尾は多々あると思う。もはやパッションを欠いているので、これは致し方ない。