日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌「悲喜交々」七月九日

◎病棟日誌「悲喜交々」七月九日

 PCがごとごとと何事かを続けていて、字句変換すら上手く出来ない。二回しかキーが動いてくれぬし、画面で見えているものとは別の文字が入力される。おそらくキャッシュが邪魔をしているのだと思うが、ありそうなのはエッジだ。勝手に開くし、開いたのを閉じるスイッチが無い。

 プログラムを点検して、完全に削除しないとダメなのか。

 文字を入力するのに、ウェブ検索でいちいち拾う必要があり、すごくやっかいだ。コピペしても、次に開くと出るのは違う文字だ。

 

 さて、今日は通院日。

 治療中にトイレに行きたくなり、看護師に中断して貰うことにした。

 長野出身のメグミさんという四十台の看護師さんが来たが、最近、対応の仕方が変わったらしく、「車椅子で移動します」と言う。

 「別に歩いて行けますよ」と言ったが、「ふらついて倒れる人がいたので、必ずそうすることになった」という返事だ。

 車椅子に乗せられ、トイレに運ばれるのは、何とも言えず変な気分だ。

 身障者トイレに一緒に入って来たので、「こりゃパンツまで下げられてしまうのか」と思ったが、「終わったらボタンを押して呼んでください」との由。ま、そりゃそうだ。

 

 お腹が下り気味だったが、便器の中が少しピンク色がかっている気がする。

 「こりゃ不味い。下血なら大腸癌だ」

 しかも出血した時点でステージ3以上だ。

 母が自身の大腸癌を発見したのは、トイレが少し赤くなったからだった。親がそうだったのだから、子にも遺伝因子はある。

 ま、流す途中で気付いたから、点検が出来ない。注意深く観察することにした。

 

 トイレ掃除が習慣になったので、汚れていなくとも周囲を消毒するようになった。いざ線を越えるとまるで平気になり、食堂で他の患者が散らかした食器の周りを無意識に片付けたりしている。

 

 何となく個室内に入られるのは恥ずかしいので、外に出てから呼び出しボタンを押した。

 またメグミさんが来て、車椅子でベッドまで運んでくれた。

 「これじゃあ、まるで重篤な患者だよな」と自嘲気味に言ったが、何のことはなく、実際に私は等級が一番上の障害者だった。

 

 車椅子で運ばれたので、過去のことを思い出した。

 十数年前に、冠状動脈が複数個所詰まり、最初のカテーテル治療を受けたのだが、その時、「救急に行かねば」と思いなしたのは、心肺症状が出ていたからだ。

 息をする度に「コロコロ」という変な音がした。

 救急病院に行き、その時点では自分が心筋梗塞だとは思わぬから「呼吸器の先生」をリクエストした。

 この先生が来たのは定時だったから、それまで私はロビーの長椅子で横になっていた。

 朝になり診察してもらうと、「心筋梗塞の疑い」があると言うので、専門病院に移ることになった。

 医師は「救急車に乗って行く?」と訊いて来たが、そもそも自分の車で来ていたから、車を運転して、循環器の病院に移った。

 玄関で「前の病院に連絡して貰った」と告げると、そこで即座に車椅子に乗せられた。そしてその次はキャリアの上だった。

 その日のうちに一回目の治療を受けたが、経験がないので何も分からず、手術室では「素っ裸になるのは恥ずかしい」と思っていた。

 手術台の上では全裸になり、おまけに尿道カテーテルをチン◯に突っ込まれる。(私は尿道炎になり、ふた月近く苦しんだ。) 

 この頃に状況が分かって来て、「俺はかなりヤバいのだな」と理解した。恐怖でチン◯が小学生並みに縮こまった。

 若い女性看護師も三四人いたから、これはこれで恥ずかしいが、死ぬよりはまし。

 

 心臓カテーテルは、股間か手首の動脈から入れる。軽微な治療か検査目的なら、「腕から」を選択した方が、負担も軽いし、すぐに帰れる。検査だけで済むなら、一泊二日で帰れる。

 治療が長く掛かりそうな時には、脚の付け根からだが、こっちの方が血管が太いから、新人外科医はこっちから練習するようだ。喫緊の危機がないようなら、まずは研修医に毛が生えた程度の若手が担当する。その後、一度下手な新米医師にあたり、えらく苦しい思いをした。

 

 久々に車椅子に乗せられたので、やや脱線した。

 メグミさんは割とかわいいオバサンだ。

 長野訛りがあるのだが、トシを取ったら、そういうのに「萌えええ」っとする。

 五十台の別の看護師には、「具合が悪い時には、実際、看護師さんは天使に見える。体調が戻ると、やっぱりオバサンに戻る」と軽口を言うのだが、私は田舎の人を上手くからかえない。

 私の方がよっぽど筋金入りの「田舎」で暮らしていたから、当たり前だ。