◎病棟日誌(10/30)
通院の時、病院の駐車場に車を入れるのだが、いつも定位置だ。一番奥の隅に入れぬと、ここに来るのは「病気で具合の悪い高齢者」が多いから、車を擦られるのは日常茶飯事だ。
お年寄りが間近でぎりぎりと他の車を擦るのを見ていたことがあるが、年寄りは大体そのまま帰ってしまう(笑)。
監視カメラがあるから、調べれば誰の仕業は分かるのだが、駐車場は民有物の内だから「交通事故」ではなく「器物破損」で、純然たる民事の話になる。
そうなると警察はほとんど動いてくれぬし、車の保険会社には「事故ではないので弊社の対応はできません」とけんもほろろに言われる。
自身が被害者でも、契約対象から少しでもずれると、保険会社にそっけなく「関係ありません」と言われるから、契約書はよく読むに限る。この対応は保険会社にもよるから、契約時によくよく調べる必要がある。(この件は実際に経験がある。「知りません」と言われた。)
そうなると、保険屋の「愛想がよいのは、金を払う時だけ」と思った方がよい。
ま、世の中は万事そんなものだ。
明日だって、選挙前は立派な「公約」を掲げるが、終われば「そんな話があったの?」みたいな対応になる。
政治家は「美味い嘘を吐く」のが仕事のひとつだが、保険も政治も同じことだ。
ちなみに、最近、「嘘を吐く」を「はく」と読んでいる人が沢山いるが、嘘は「吐く(つく)」ものなので、念のため。
さて、この日、エレベーターが出して来た四文字熟語の出題は「▢食同▢」だった。
ま、答えはアレだ。書いてしまうと「医食同源」で、他に似た言葉がない。
語源ははっきりわかっていて、「中国の言い回しの『薬食同源』を日本人が言い替えたもの」ということだ。
ネット辞書によると、「初出は1972年、NHKの料理番組『きょうの料理』の特集「40歳からの食事」において、臨床医・新居裕久が発表したもの(NHK「きょうの料理」同年9月号)。これは健康長寿と食事についてのもので、中国に古くからある薬食同源思想を紹介するとき、薬では化学薬品と誤解されるので、薬を医に代え医食同源を造語し、拡大解釈したものであると新居裕久は述懐している」とある。
意味は字の通りなので、省略。
似た並びの造語をしてみるが、大して冴えない。
「乞食同然」:某国人のふるまいのこと。ま、「騙す」ほうに力点がある。そもそも「品性下劣」だから付き合わぬ方がよい。もう全部のネタが上がっているわけで。
「断食同様」:コロナ不況でろくなものを食べられません。
みたいな。
ところで、先日、病棟でO君という看護師(三十台男)が上司に酷く叱られていた。本人がややトロいところもるのだろうが、患者が見ている前で怒鳴られている。
ちょっとやられ過ぎだ。
何気なく見ていると、「本人のせい」ばかりではないような気配がある。これは額から肩の辺りの雰囲気で分かる。
自分自身のせいなら仕方が無いところもあるが、必要以上に「どやされる」のは可哀想だ。たぶん、「これは本人のせいばかりではない」と見て取れる人はいない。
上司や年下の女性看護師までが公然と罵るのは、幾らか悪縁が関わっているからだ。
こういうのは簡単に改善出来る。
「常に顔を上げていること」。要は「堂々としていろ」ということだ。青眼で見られると、簡単には突っ込めなくなる。
野球でピッチャーが視線を送ると、それだけで走者が足を止める。
「挨拶は三つ」。「こんにちは」「今日は天気が良くてよかったですね」で二つ。その上で必ず相手なりの「何か」を足す。
三つめは「相手なり」の話題にすることがポイントのひとつで、相手の関心が何かを探ったり、推測したりする必要があるから、だいぶ踏み込む必要がある。
病棟には、すこぶる愛想の悪いジーサン患者がいるのだが、戦前生まれらしく、振る舞いががさつな上にニコリともしない。食事の時にはわざとがちゃがちゃと音を立てて食べる(ゼッタイ戦前生まれだ)。
挨拶を掛けても返事をしない「根性の悪いジーサン」なので、他の患者も看護師も敬遠している。
それでも、二年以上、会う度に挨拶を欠かさず、いつも「今日はどうですか」と声を掛けていた。二年間、まったく返事が来なかった。
この日の帰りに出口で会ったが、今日初めてそのジーサンが「お疲れ」と笑った。
まさに岩に「水滴が穴を穿った」瞬間だが、ここまで二年掛かった。
偏屈で不愛想の人は、多く困難や苦労を重ねて来ている。
そのジーサンも体はぼろぼろだし歩くのもやっとだ。
そのせいで心を閉じているわけだが、もちろん、通じる心はある。
脱線したが、次は「直射日光を浴びる」。屋外に出て活動すると、身の回りに悪縁が居づらくなる。
これだけでだいぶ違う。
あとは私の領域になるが、「ちょっとしたアイテムを持つ」こと。
鈴のチリンチリンという音を悪縁は嫌うから、Ǒ君にのためにストラップを作り、持たせることにした。鍵に付けると、家に出入りする時に必ず触り、音が響く。家の鍵や、鞄に付けて置くと、自然に悪縁除けになる。もちろん、ただ「持つ」だけではダメで、「信じる」ことだ。
せっかく作ったが、Ǒ君は今日は休み。そこで看護師のエリカちゃんに鈴をあげた。
以前、この子の背後に「バーサン(生きてはいない)」が寄り添うのを見たことがある。
ふと気づいたが、最近、私に寄り付いたあの「バーサン」にその時の幽霊がよく似ている。
その後、問診の時に既往症に従って、「あれはどうだ」「これはどうだ」と訊かれたが、気付いてみると、「腰から大腿にかけての尋常ならぬ痛み」、「胸痛(心臓)」その他が完全に消えていた。
ちなみに、鎮痛剤は別として、「薬の追加を拒否している」ので、一切治療をしていない。薬の追加を拒むのは、薬害の方が大きくなるためだ。
看護師が「どうしてよくなったのでしょうね」と首を捻るので、「お寺でご供養をしてから、急に良くなった」と答えた。
ここで、自分で「ホントだ」と気が付く。
ちょっと前までは杖を突いて歩いていたわけで。
内臓の腫瘍や大腸の下血など、ここ数年の発症については、医療的には何もしないで改善している。
ま、私の場合は「原因の分からぬ具合悪さ」や「説明のし難い不調」が他の人よりもやたら多い。
この日の担当はN湖の近くに住む看護師だったが、この人は私がN湖にご供養に行っていたことを承知している。
病棟の中では、師長とこの看護師の二人だけが「私が何と関わっているかを知る者」だ。
「単なる妄想ではなく、私が『傍にこういうのがいる』と言えば、本当にいるのですよ。その証拠写真を見ますか?」
この看護師は、前に「ウェブには出せない画像」を見たことがあるせいか、すぐに「いえ。止めときます」と答えた。やはり怖いらしい。現実に存在していると認めねばならないのなら、誰でもそう思う。
さて、帰路、スーパーの小田原直送コーナーに寄ると、この日は「ヘダイ(平鯛)」を置いていた。
この路線が根付くまでは、売価をかなり下げてある。
安く買えるのは今だけだろうから、すぐに買って帰った。
かたちは鯛だが、色は鱸(スズキ)だ。ちょっと見ではチヌ(クロダイ)だよな。
こりゃ、不味いわけがない。