◎病棟日誌 悲喜交々12/12 「弱っている人」
介護のバーサンに渡すべくリンゴを持参したが、やはり渡すタイミングが無かった。
いつも誰かが近くにいる。
看護師の「誰か」に渡すと、全員に渡せるわけではないから、男女共にバランスが壊れる。面倒くせーな。
次は堂々とあのバーサンか、掃除のジーサンに渡そう。
医師や看護師には付け届けがあるが、介護士や掃除係に礼をする人は殆どいない。
逆に「特別にあんただけにあげる。お返しにデートしてくれとは言わんよ。俺はあっちが激しいからな」とかナントカ煙に巻くか。
ま、いつもそんな調子で、長らく隣にいたガラモンさんの家族に会った時には、「いつも隣で寝てます」とからかったもんだ。
「週に三回は隣で寝てますね」
事実だが、普通は別の意味だ。
と書いて気付くことがある。
当方が常に「下ネタどんとこい」路線だから、周りの者が言いやすい状況になっているわけだ。
この日も、看護師のO君がしきりにベッドに来て、何か話したそうにしていた。
だが、ベッドに来ると「昔の病院の経験談」とか細かい話をする。これが数度。
終わり際になり、またO君がやって来てこう言った。
「実は池袋に『献血』にいったんです。でも出来ませんでした」
貧血だったのか。せっかく採血しても条件が整わねば無駄になる。
「そりゃ、いいもん食ってねえからだよ」
すると、O君は口ごもりつつこう答えた。
「いや、前の子がいなくて知らん子がついたのですが、全然出来ませんでした」
ここでようやく「献血」が「風俗」のことだと分かる。
なるほど、血と精液の成分は殆ど同じだ。
O君は三十五歳くらいで独身だ。一旦、一般企業に就職したが、そこを辞めて、看護学校に入り直して看護師になった。だから年齢に較べ、まだ新米扱いだ。よく𠮟咤されているから、外ではけ口が必要なのだろうな。
「きっと人見知りするタイプなんだろ。俺もそうだよ。初対面の相手とは全然その気になれんから」
慰めるつもりはなく、実際その通りで、風俗には行ったことが無い。暴力団の接待で連れていかれた時だけで、何も出来んから、実質的にそこは銭湯と変わりない。
わざわざ報告しに来たところを見ると、そのことが少しショックだったのだろうが、他人の分かりようのない自分の昔話をするところなど、明らかに「弱っている」風がアリアリだった。
そう言えば、このO君も頻繁に幽霊に寄り憑かれるタイプで、一度は肩にバーさんの頭が乗っていた(目視確認した)。この時には、すぐさまお守りと鈴を渡し、お祓いの仕方を教えたのだった。
次は「なるべく早いうちに、自分の一族の信奉する神社かお寺に行け」と言わなくてはならんようだ。
とりとめのない、小さいが煩わしいことが積み重なると、若者はあっさり死ぬことを考える。悪縁が寄り憑いていたなら、そいつが背中を押す。
最近思い付いたが、額縁に黒板色(深緑)の背景を敷き、その表面のガラスに映して撮影すれば、「ガラス窓に姿を映す」のと同じ効果が得られるのではないだろうか。
消えたテレビ画面に、部屋の中の様子が映るが、自分の隣に人影らしきものが見えることがある。
出して見せられれば話が早く、その時に初めて当方の助言を真面目に聞くと思う。
「神社やお寺の窓ガラスに自分を映し、それを撮影して見ろ」と言っても、これまで実際にやった人はいない。
実際に試しても、おかしなものが写るのは百回に一度あるかどうか。なら、やった者は「何もおきねーよ」とクレームめいたことを言う筈だが、それを言って来た者はいない。
すなわちそれは、「誰もやってはいない」と言う意味だ。
ま、初めてやってみて、当方によくあるように、「自分の肩に知らん女が頭を載せている」様子が写ったなら、さすがにへこたれるとは思う。
だが、現実感は無いから大丈夫。到底、そんなことが起きるとは信じられない。
それに「どこにでも幽霊がいる」と一度気が付くと、どんどん異変が起き始めるから、いずれそんなに気にならなくなる。