日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌「悲喜交々」 (R4 7/30)

病棟日誌「悲喜交々」 (R4 7/30

 病棟に行くと、前に左隣だったバーサン患者(70歳くらい)が車椅子に乗っていた。確かこの病気になってから十数年でベテランだ。

 これまで幾例も見て来たので承知しているが、ある日突然、体の自由が利かなくなり歩けなくなる。原因を調べるが、よく分からない。ひと月かからぬうちに入院病棟に移る。名簿を見ると、午後の診療になっていて、三か月の内には名札が消える。

 身体機能の総合的な劣化が進み、機能不全になるから原因が分からなかった。

 今は私の順番ではなく、あのバーサンの番だったようだ。

 

 治療中に師長が来たので、自分に関する「外から見た印象」を訊いてみた。

 「五月の末に俺はかなり状態が悪かった。自分でも『このままなら程なく死ぬだろうな』と思ったほどだ。きっと皆さんもそう思っただろうな」

 「具合が悪そうだとは思いましたが、死にそうだとは思いませんでしたよ」

 ま、立場上、そうしとか答えられるわけがないわけで。

 「お袋が来て、度々長椅子に座って俺を見ているから、かなりヤバかった」

 「助けに来てくれたんですか?」

 「いや、亡くなった親族が手を出して助けてくれることはない。血の繋がりは当人が死ぬことで切れている」

 「俺はいつも亡くなった両親に『助けて』と祈っています」

 「生きている者にとってはまだ繋がっている話で、思い出があるから、それで良い」

 でも、死んだ方は子や孫に思いを残すと、いずれそれが執着に変わる。執着心を抱えていると、程なく悪縁(霊)に化けてしまう。死んだ者は早いうちに解放してやらなくちゃ。

 「お墓や仏壇での祈り方は『生きている者のことは自分たちでやりますから、我々のことは心配せず安らかに眠って下さい』というものだ。仏さまは神さまではない。まずは感謝することが大切だ」

 師長は少し残念そうなそぶりだ。中年にはその人なりの悩みがあるわけで。

 

 「ここまでは、誰もが語るただの『お話』だ。でも、俺の特技はきちんと写真に撮れるということだ。お袋の写真も撮った。曇りガラスの向こうにいるような写真だが、お袋を知る人なら、それが俺のお袋だと認めると思う」

 師長が慌てて、「いや。見せてくれなくて結構です」と言う。

 ウェブには公開しない画像を見せたことがあるが、あれで懲りたらしい。

 「希望とか安らぎに繋がるなら良いのですが」

 「それが俺に出来たら、大半の宗教団体を打倒してるね。壷も沢山売れる」

 もちろん、冗談だ。もはや明日をも知れぬ命なのだから、他人に関わるつもりなど一切ない。

 残念だが、「愛と平和」を説く側ではないざんす。

 今生でしでかしたことには必ず報いがある。死んだからと言って解放などされぬ。因果応報。

 

 そんな話をしていると、少し離れたところで、例によって看護師のO君がどやされていた。「言われたことをやっていない」という話で、結構な剣幕だ。

 いつも思うが、O君は人が良く、言われるとすぐに「はい」と即答してしまう。

 上司が「やれ」と言うのは、単に投げているだけだから、黙って受け取ったらダメだ。まず一つ目の返事は「何をいつまでに」を確かめることだ。

 現場では平行して三つ四つのことをやるのが普通だから、次は優先順位だ。

 「先にこれをやり、次にこれを進める。こういうことで良いですか」

 ここで必ず上司の「そうだよ」という承認を取る。

 単発で投げられたものをバラバラに受け取ると、個々の務めが進まぬだけで叱咤の対象になる。優先順位を決め、何かを後回しにするだけで、文句を言われることがある。多くは別の上司だ。各々が自分の言いつけたひとつしか見ていないから、そうなる。

 「上司の指示は複数回確認しろ」「必ず了承を取れ」というのはそこだ。仕事の手順について「承認」したなら、「指示を投げて終り」にはならない。上司もケツを持つ。

 自分だけが責任を追わずに、必ず「上の者を関わらせる」のは組織で生き残る基本だと思う。

 組織を持たぬ私ら自由業の場合は、必ず言質を取り、証拠を残すことまできっちりやる。約束を違えたら、即座に仕事を失うから当たり前だ。

 ついでに、いつも「この人をどうやってコロすか」まで案を立てる。肩書のある者、組織人ほど崩すのは容易だ。それが分かっていれば、心に余裕が出来る。

 

 以上をひと言でいうと、「あれをやれ」と言われた時に、「あれって何?」を詳細に確認し、「出来高の了解を得る」必要がある。それを怠るから、「(上司の)出来映えのイメージに合わぬ」ことで叱責される。

 問題はO君が「世渡りが下手」だということに尽きる。

 O君は回り道をして来たから、臆する気持ちがあり、何か言われると「はい」と答えてしまうのだが、結局、仕事が増え、対応できなくなる。

 

 O君を見ていると息子を眺めるような気持ちになる。

 息子は優しくて他人を思いやる性格だが、「まずは自分のことをきっちり仕上げる」生き方をしないと、背中を小突かれて人生を送ることになる。

 「どういう相手でも堂々としていろ」という言葉の意味は、何時でも相手をコロす覚悟を持てということだ。この場合の「コロす」は「社会的に」と言う意味なので念のため。

 「ここを突き刺せばコイツはくたばる」という穴を見付けておくと、心に余裕が出来て、むしろ他人に優しくなれる。

 いずれO君にはきっちり説明するつもり。

 

 もうひとつO君に目が留まるのは、いつも「背後に良からぬ者を連れている」という点だ。大体は肩に手が掛かっている

 O君には「駅のホームとか交差点では、一番前に立つな」と伝え、お守りも渡しているが、本人が気づいて対処しないと、短命で一生を終える。

 出して見せた方が簡単なので、TPOが整った時にささっと写真を撮ってやろうと思う。ま、病棟内ではなかなかTPOが整わない。