日刊早坂ノボル新聞

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◎『三途の川便り』 ガラスの合わせ目の左右で見えるものが違う

令和二年六月十四日撮影

◎『三途の川便り』 ガラスの合わせ目の左右で見えるものが違う

 ガラス戸が何枚かに別れている時に、各々の戸の向き(角度)が微妙に異なることがあるが、そういう時にはガラスに反射した景色が二重に見える。

 映っている景色(の角度)が異なるためだ。

 ただ、二重に写っていても、元は同じ景色だから、変わるのは角度だけになる。

 だが、ガラスには、「透過して後方に抜ける光」と「反射させて前に返す光」を分ける効果があり、それと「角度との違い」の相乗効果で、見えぬ筈のものが映るようになったりする。

 回りくどい言い方をしたが、要は「左右のガラス戸に映る景色が異なることがある」という意味だ。

 

 掲示画像は二年前の六月に撮影したものだが、雨の日にガラス戸に映る私自身を遠くから撮影したものだ。

 この画像を拡大すると、私はガラスの合わせ目のところに立っていた。

 どこか違和感があるので、さらに拡大すると、左のガラスに映っているのが「私ではない」ことに気が付いた。

 坊主頭で、作務衣のような服を着ている。

 また、傘を持つ左手の向きが左右のガラスで違っている。

 

 ひとつ前の画像を確認すると、私の額の辺りに「黒玉」が出ていたようだ。

 「黒玉」は煙玉の一種だが、白い「煙玉」は主に自然現象であるのに対し、「黒玉」は幽霊そのものであることが殆どだ。

 これらの状況から、私が「どこからかこの僧侶?を連れて来た」と推測できる。