日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎『鬼灯の城』第3ー4章の開示の告知と前段のあらすじについて

◎『鬼灯の城』第3ー4章の開示の告知と前段のあらすじについて

 本日、HP「北奥三国物語」にて、『鬼灯の城』第3-4章を開示しました。

 以後、週に2章くらいのペースで進め、過去作が終わったところで、順次、続きを掲載します。

 自分には「来年も来月も無く、明日もない」と思いなせば、やるべきことは明確だったのに、病気を理由にこれまで放置して来ました。

 新聞連載時にお読みになった方は、日々の断片を元に長編を想像する他は無く読み難かったと思います。系統的に読めば、作品の意図が幾らか分かりやすいと思います。

 七年前くらいに執筆した作品で、結末を終える前に病床に臥し、中断しましたので、私自身がコンセプトを失念している部分がありますので、ゆっくりと読んで行こうと思います。

 作者的には『九戸戦始末記』より、こちらの方が好みですが、「長いものに巻かれぬ」反骨精神が支柱になっているからだと感じます。

 間隔が開き、一読者として読むところから再出発していますので、ある意味では気楽に楽しめるところがあります。

 北奥三国物語 鬼灯の城

 

『鬼灯の城』人物相関図 前段(左)と後段(右)

◆ 『鬼灯の城』前半のあらすじ    早坂昇龍

「呪い師」

 二戸釜沢館主・小笠原重清(釜沢淡州)の館に杜鵑女(とけんにょ)が現れた。

 杜鵑女は師に破門された破戒巫女で、放浪の挙句、釜沢館の搦手門の前で倒れていたのだ。

 重清はその杜鵑女の扱いを思案するが、杜鵑女の予言めいた言葉に耳を留め、ひとまず呪(まじな)い師として館内に置くことにした。

 

「邂逅」 (「邂逅」は「出会い」の意。)

 杜鵑女の言に従って、重清は三戸城下を訪れた。

 すると、幼い頃に死んだと思っていた妹が生きており、商家の女将になっていた。

 総てが杜鵑女が霊視した通りだった。

 重清は杜鵑女の言に従い、隣領の目時筑前と不可侵の協定を結び、人質の交換をする。

 重清には男児が無かったので、人質は双方とも館主夫人とした。

 重清は目時夫人・桔梗の姿を見て心を揺さぶられる。

 

「揺蕩」 (「揺蕩」は揺れ動くこと。)

 秋が深まった頃、釜沢館の家来・用人が毒茸にあたる。重清も茸毒に苦しむが、人質の桔梗により介抱される。

 桔梗はほとんど意識の無い重清の体を清拭し、その逞しい体に愕然とした。

 病気がちな夫と違い、重清は鋼のような体躯をしていたのだ。

 桔梗は夜毎に重清の肉体を思い起こし、悶々とする。

 

「渦流」

 十二月に至り、釜沢館を沼宮内(河村)治部が訪れる。治部は開墾や用水路普請について、重清の指南を受けに来たのだ。

 しかし、折悪しく、ちょうどその時、領境でいざこざが起きる。

 四戸領の百姓が釜沢に進入し、略奪を働いた。ところが、その百姓たちの後ろには、四戸の他、九戸方の軍勢が控えていた。

 その時、小笠原重清の配下はわずか十数騎。

見張りに出ている隊を呼び戻しても、せいぜい六七十である。

 だが、このまま捨て置くわけにはいかない。

 重清は出陣し、馬渕川を挟んで敵と対峙した。

 果たして百姓の間には四戸侍が混じっている。ここでもし、重清が川を渡って攻撃すれば、「釜沢が四戸領に攻め入った」という口実を与えることになり、背後にいる軍勢が攻めて来る。

 重清は一計を講じ、敵の侍を討ち取る。

 それを見た四戸軍が殺到した時、北の方角から三戸軍が寄せて来た。

 前は九戸方、後ろは三戸方に囲まれ、重清は緊張する。

 しかし、北から寄せる三戸軍は、蓑ヶ坂にいた東信義が三戸の防備のために兵を出したものだった。

 重清は東信義とは親交があり、信義が重清を攻めることはない。それを見取り、重清は安堵する。

 一方、四戸軍は敵が多数であることを知ると、すぐに撤退した。

 その夜、重清が眠れずにいると、寝所に桔梗が手炙りを届けに来た。

 桔梗は重清の心を癒すべく、己の着物の前を開く。重清は、ついに桔梗と関係を持ってしまう。

 

「業火」

 馬渕川原の戦いから半月後、釜沢館を九戸政実が訪れる。政実は四戸一族に讒言を受けており、重清の真意を確かめるべく、工藤右馬之助を伴って訪館したのだ。

 重清が戦いについて語ると、政実は納得し、「年賀式に出るがよい」と重清を誘った。

 その日、重清は杜鵑女を引き連れ、三戸の伊勢屋に向かう。表向きは年越しの支度のためだが、その実は杜鵑女を休ませるための計らいだった。

 伊勢屋に着き、部屋の支度が出来るまで二人は向かいの茶屋で待つことになる。

 するとそこには、伊勢屋の様子を窺う男女がいた。男女の物腰を見れば明らかに盗賊の類である。

 重清はその者たちを呼び止め、警告した。

 伊勢屋の離屋(はなれ)で、杜鵑女は重清に夜伽を命じられると覚悟したが、しかし、重清は求めては来なかった。

 翌日、二人が帰館すると、大手門で目時の人質である桔梗が待っていた。

 並び立つ二人を見た瞬間、杜鵑女の目には、地獄の業火が二人の周りを取り巻いているように映った。

 杜鵑女は「あの女を放逐せねば」と決意する。

 一方、重清と桔梗は情交に明け暮れる。

 ついに桔梗は重清に「夫・目時筑前を殺してください」と乞う。

 

「陰謀」

 重清は、九戸政実の催す年賀式に出席すべく、総勢五名で釜沢館を出発した。

 前日からの降雪で、重清一行は馬橇を使用したが、それでも平常の三倍の時を要した。

 漸く四戸領との境に達すると、そこには四戸の刺客十二名が待ち伏せていた。

 年賀式の日に暗殺を企てるのは、如何にも都合が悪いので、刺客らは自らを「毘沙門党」と称した。すなわちそれは強盗の仕業に見せかける意図による。

 従者二人が斃され、重清に危機が訪れる。

 すると、町屋の陰から男装束の女が現れた。

 その顔を見れば、その女は重清が昨月三戸で会った紅蜘蛛という盗賊であった。

 紅蜘蛛は偶々、すぐ近くの旅籠に泊まっていたが、侍に自分たちの名が勝手に使われたことを知り、外に出て来た。

 すぐさま毘沙門党と四戸の刺客との間で戦闘が始まった。

 重清は「敵の敵は味方」と見なし、すぐさまその場を離れた。

 

 この事件の知らせが目時筑前に届く。

 筑前はこれこそ好機だと考え、釜沢との間で和議を講じることにした。

 重清は九戸党と軋轢を生じさせており、孤立している。そこで、「三戸との仲を取り持つ」と持ち掛ければ、必ず申し出に応じる。

 その和議の席で重清を殺し、釜沢を手中に収めよう。筑前はそんな風に考えたのだ。

 

 和議の申し出が届き、重清はそのことを桔梗に話す。桔梗は、重清が「案じるな」と言うばかりなので、不安感を募らせる。

 和議が決まれば、自分は目時館に戻されてしまうのだ。

 ついには、桔梗は自らの手で筑前を暗殺することに決め、杜鵑女の許を訪れる。

 桔梗が鼠を駆除するための毒の調合を依頼すると、杜鵑女は当日中に作ることを約束した。

 杜鵑女は、桔梗がその毒を夫殺しに使うであろうことを察知する。

 杜鵑女の霊視によれば、桔梗は重清の行く末を破壊し、釜沢を滅ぼす悪女である。

 この女を除かねば、杜鵑女の身も危うくなってしまう。

 そこで、杜鵑女は桔梗の謀に乗じ、毒を用いて桔梗自身を殺すことを決意する。(後半に続く)

 

◆筆者による解説

 釜沢淡州・小笠原重清にまつわる伝説は、戦国末期の北奥でもひときわ異彩を放っています。

 北奥を二分する三戸・九戸の抗争に直面し、淡州はそのどちらにも加担した形跡がありません。三戸九戸のいずれにも賛同しなかったのです。

 ところが、二戸宮野城(九戸城)が落城すると、僅か数日のうちに、大光寺光親が二千騎の軍勢を以て釜沢館を急襲します。

 釜沢攻めには、専ら南部信直の命を受けた鹿角侍が出動し、糖部の侍はこれを静観しました。

 抵抗と抗戦の後、淡州は滅びますが、そこに至る経過が、今に至るまで謎となっています。

 かたや内政面での淡州は極めて優秀な人物で、父吉清(浄)の代から開墾と整地に力を注ぎ、釜沢用水の建設にも取り組みました。

  小笠原一族は生産力の向上を第一に考えていたということですが、当時としては稀有の考え方をする地侍であったと言えます。

 

備考)手控え原稿から転写していますので、校正が入っていない段階のものですので、不首尾があると思います。筆者は「なるべく当時に近い言い回し」を採用していますので、時々、差別的に聞こえる用語がありますが、時代背景によるもので、差別意識を持って記したわけではありません。

 具体例を挙げると、戦前までの「女中」などがあります。今では使用されぬ言葉ですが、当時には代替用語がありません。その頃には「お手伝いさん」「メイド」はいません。