





◎古貨幣迷宮事件簿 「八戸 広穿マ頭通への系譜」
八戸銭の面白いところは、変化が多様なところだ。
あまりにも多くの変化があるから、「型」に囚われると数限りなく出て来る。
頭を切り替え、系統的に認識するようにしないと、それこそ五百種、八百種と分類が増えていく。幾つかの分岐になるもの以外は、あまりこだわらぬ方が無難だ。
そもそも、文字を読むのにもひと苦労するような出来の品ばかりだ。
画像は、鉄銭の金質をもとに簡単に鋳地をより分けたものだ。
もちろん、厳密な区分ではない。銭座への出稼ぎ職人が既存し、石巻から持ち帰った母銭をそのまま利用して鋳たものもあれば、母銭を鋳写して新たに展開した例もある。
たたら鉄には、十五種類以上もの呼び名があったことは前にも記した通りで、これは今では分からない。あくまで印象と型の変化を頼りとするしか手立てがない。
大鋳銭座の使用に耐えうる存在数があることと、型が揃っていること、この地域で最もよく見られる型が石巻銭直系の「やや小型」の背千であることから、正様を鷹ノ巣(鷹巣)座の産と見なす。あくまで当地鉄銭の撰銭より得た見解であるから、確たる証拠が出るまでは、他に方法は無い。
そもそも、現地を訪ね、資料館に残る銭の検分をしている者はほとんどいないので、残る手立ては発掘しかない。
葛巻の職人が他の地で同時に鋳銭を展開するケースは、二戸目寛見寛座だけでなく、多方に渡っている。いわゆる「密鋳背千」の変化を観れば一目瞭然だ。
(05はひとまず「その他密鋳銭」に位置付けたが、字の大きさは本銭に近い。)
ただ、06以降は葛巻以外の八戸領もしくは盛岡領北部の産になる。
バリエーションは多々あり、パターンを上げればきりなく出て来る。
広穿マ頭通が目寛見寛座に近いことは、私の発見によるものだ。
葛巻銭に「マ頭様」が散見されることは、地元では周知されていたようで、時折、それと分類している収集家がいた。
ただ、「広穿」の場合、葛巻銭の母銭より厚く仕立てられている。
「マ頭通」は通頭へのアタリから始まったようだが、おそらく葛巻の「マ頭様」の穿に刀を入れ、拡げたものなのだろう。
穿を広くする加工は、目寛見寛座の背千類で散見されるので、「マ頭通」と「広穿」は湧けて考える必要があるかもしれぬ。
広穿類自体にも変わりが見られるので、「広穿マ頭通」の周辺だけで、ひとつの研究テーマになり得ると思う。
ちなみに、銭径に対し、穿のサイズが大きいし、通字の「マ」も割と鮮明なので、選り出しは容易だ。ただ存在数が少ないだけ。
目寛見寛座の代表銭種は、文字通り「目寛」「見寛」であるが、同じ仕様の「背千類」とその変化形態も多い。
サイズと「寛」字の印象で、「目寛」「見寛」と見なすことなく、良く確かめる必要がある。「目寛」は四つ宝銭の近縁種と間違えやすいし、「見寛」には書体変化があるようだ。
母銭を特定するのは容易だが、鉄銭については、同一の座銭であることは厚さなどにより分かるものの、「面文がよく鋳出されていない」という理由で判別には困難が伴う。
さて、地元の先輩である故K村さんなら、「広穿マ頭通」の分類名の横に「※※氏発掘」と記してくれたと思う。
先輩方の多くがこの世を去り、郷土史の議論をすることも殆ど無くなったのは、少し残念に思う。
注記)いつも通り一発書き殴り。あまり調子が良くない。
追記)葛巻の鷹ノ巣(鷹巣とも書く)を幾度か訪れたが、集落の奥は立ち入り禁止の山道になっている。四駆でも百㍍と上って行けない。
車を置いて徒歩で立ち入ったことがあるが、草叢の中から不意にカモシカが顔を出し、驚かされた。カモシカは「青獅子」とも呼ばれ、間近で見ると顔がでかく迫力がある。
鷹ノ巣からたたら山に向かう一帯には、たたら炉の跡が数多くあるようで、地元の人に聞いたところでは、所々に「ノロが落ちている」とのこと。「ノロ」は鋳鉄の際に生じる残滓のことだ。
たたら炉は一度の鋳鉄で壊し、別の場所に移動して、再び炉を作る。これは専ら木材の調達という必要性からだという。「炉ひとつで山ひとつ分の木が無くなる」らしい。
ただ、木材を薪にするのにも半年一年乾燥させる手続きが必要だが、木を伐採し木炭にする段取りはどうなっていたのだろう。
この地域には熊が出るし、今の熊は人を襲うので、仮に健康でも、もはやこの地に立ち入ることは出来なくなった。