日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K75夜 行き着けぬ

◎夢の話 第1K75夜 行き着けぬ

 二十二日の午前三時に観た夢です。

 

 年末に来て、何かの集まりに出ることになった。

 もう何年も会合には出ていないが、何か事情があったのだ。

 「会合に出ぬどころか、俺はコロナが始まってから、一度も駅に入ったことが無い」

 電車に乗っていないのだ。

 所用のため街に向かったことはあるが、移動は車だった。

 少なからぬ不安が頭を過ぎる。

 

 十年近く前には、無理をして宴会に出ていたが、途中で気持ちが悪くなり、急遽ホテルを取って、そこで横になるといった事態が相次いだ。

 そこで「もう俺には無理なのだ」と悟り、あらゆる宴席への出席を見合わせることにした。

 「親の葬式しか出ません」と公言するようにしたわけだが、これは他人に迷惑を掛けぬようにするためだ。途中で具合が悪くなったり死んだりすればせっかくの宴会がだいなしになる。

しかし、こういうのはなかなか伝わらない。

 他人には自分の病状を詳細に話す気も無いわけだが、仮に話しても重い病気を経験したことのない者には理解しがたい。

 「飲めぬなら飲まずに座ってればいいだろ」などと普通に言う。

 このやり取りが煩わしい。

 「飲まず」だけでなく「食わず」に座らねばならんが、ただ座っているだけでも苦痛だ。そもそも、飲まず食わずに話を合わせ、会合が終わったら金を払って帰ることになる。周囲は飲んでいるわけなので、途中で何かのきっかけで俺がキレるおそれがある。

 「それが一番怖いよな」

 テーブルをひっくり返すくらいならまだしも、参加者に暴力を振るうかもしれん。何せ「キレている」なら何が起きるかは想像できん。体力が無いから大したことが無さそうだが、自分の限界を知る者はそこまで考え、最初からビール瓶とかの物を掴む。ケンカの域を超えてしまう。

 そこで押し問答を避けるために、「俺はお前らが嫌いだから会合には出ない」と言うことにした。

 相手は腹を立てるわけだが、話はそれっきりになる。

 結果的に「偏屈で嫌なヤツだ」と思われるわけだが、俺自身が宴会中に死んだり、暴れて壊すよりはましだ。これが半分は「思いやり」だってことを、知る者はいないのだが、説明もしない。どうせ理解出来ないからだ。

 

 実際、帰省する度に「飲みに行こう」と連絡して来る中学の同級生がいた。

 「俺は持病があり酒を飲めぬし料理も食えない。ただ座っている『だけ』の方がむしろ負担が大きいから出られないんだよ」

 これで一時間も押し問答が始まる。最後は口喧嘩だ。

 墓参りに行く度にその繰り返しだったが、それも何年か前に途絶えた。しきりに誘って来るヤツが病気になり、俺より先に死んだからだ。

 俺のことを誘っていた時も自分の病気を知っていた筈だが、たかを括るか、酒を止められなかったかのいずれかだったのだろう。

 冷たい言い方かもしれんが、その早死には自分が招いた結果だ。

 「決まりを守る」「行動を律する」のは、「患者」にとって最低限の振る舞いだ。

 「今日は特別の日」を作るヤツは、どんどん死んで行く。そうでなくとも俺くらいの病状になると、病棟の周りの患者たちが次々に死んで行ってる。

 

 「そんなことは分かっているのに、何故今回の俺は宴会に出ることにしたのだろう」

 歩きながら考える。

 どうしても会いたい人がいたか。一生に一度しか会えぬ人が来るなら、出るかもしれん。

 いやどうだろ。命を賭けるほどのことか?

 ここで俺は「自分が現金を持っていない」ことに気が付いた。

 外出しないし、仮にしても近所のスーパーくらいだ。いつも決まった店でカード払いをするから、財布には現金を入れていない。

 「いけね。お金を下ろして置かんとな」

 駅の方に向かえば、たぶん、CD機がどこかにあるだろうから、そこで下ろそう。

 遠くの方に駅っぽい建物が見えるから、そっちに向かうことにした。

 

 商店街をゆっくりと歩く。

 「街中を歩くのも、数年ぶりだな」

 出掛けたことはあるが、ピンポイントで施設に向かい、駐車場に車を入れるから、街路を歩くことはないのだった。

 だが、歩いても歩いても、CD機らしきものの看板が出て来ない。

 この駅の周りには少ないのか。コンビニすら見掛けない。

 「ま、駅の真ん前にはあるだろ」

 再び歩き出す。

 外に出たことが無いから、少し腹が減った。体重が落ちてからというもの、腹が減るのが早くなった。

 「何か軽く食おうかな」

 だが、どうせ一人前は食えんのだから、牛丼でも生蕎麦でも半分は残す。店の主人が良い顔をしないだろうな。

 「それ以前に、何かを食うならそれこそ現金を下ろさないと」

 牛丼屋の五百円でカード払いはないよな。

 

 だが、さらに歩いても、駅には行き着かない。

 それどころか、建物のかたちすら見えなくなった。

 「ありゃりゃ。駅はどっちだろ」

 駅の場所が分からなければ、宴会場に向かう方角も分らぬのだった。

 街は人で溢れているが、俺一人別の世界にいるような気がする。

 途方に暮れつつ、ゆっくりと覚醒。

 

 「癒し水」を供えるようになってからは、あの世的な怖い夢を観なくなった。

 今観るのは、人事にまつわる内容だ。

 こんな夢を観ると、自分がやはり終末の患者で、「一人きりの場所」に向かうべく準備していると感じる。

 他人が立ち入れぬ「独りで行く場所」とは、すなわち「棺桶」のことなのだった。

 気を付けろよ。こんな俺よりも先に逝くな。上手な死に方を知らんだろ。