日刊早坂ノボル新聞

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◎夢の話 第927夜 公園で

◎夢の話 第927夜 公園で

 24日の午後7時の仮眠時に観た短い夢です。

 

 会合があり、かなり酒を飲んだので、駅から家に向かう途中にある小公園で休むことにした。

 俺はたぶん、30歳くらい。スーツを着ている。

 ベンチがあったので、そこに座り、秋の風を楽しんだ。

 

 月も星も見えぬ夜で、公園の周りには人家が少ないから、周囲は真っ暗だ。

 何の音も聞こえない。

 俺は遠くのサッカー場(たぶん)の方に眼を遣りながら、ただぼーっとしていた。

 しばらくすると、暗闇に眼が慣れて来る。

 すると、はるか遠くの闇に、何やら蠢くものがあるように感じた。

 暗闇の中では、焦げ茶色のものはまったく見えないが、黒いものは割と見える。

 「あれあれ。向こうに何かいるよな」

 グラウンドの向こうに「何か」がいて、こっちを見る視線がある。

 

 「二人だな」

 そいつらは百メートルは向こうにあるサッカーのゴールポストの近くに居て、俺のことを見ていた。

 暗闇の中で、はるか遠くなので、見えない筈だが、俺には見える。

 強度の弱視で紫外線には弱いのだが、赤外線域については、普通の人よりはるかに多くが見える。

 「くそ。あの世の者だな」

 幽霊は多く赤外線域にいるから、普通の人には見えないのだが、たまに俺みたいに赤外線域の波長を捉える者には、割と見えてしまう。

 「第六感」というものの本質はこれだ。

 

 嫌なことには、向こうで俺を見ているのが「二人組」だということだ。

 二人組は「お迎え」が来る時の典型的なパターンだ。

 かなり前のことになるが、俺は現実にあの世からの使者に会った。

 病院のベッドに座っている時に、二人組が俺を連れ去りに来たのだ。

もうあれから五年以上が経つ。

「遠くに去ったわけではなかったのか」

 どうやらそれほど離れておらず、遠巻きにするように見張っていたらしい。

 「大体、ここはもうこの世じゃない」

 俺がいたのは、音ひとつしない真っ暗な闇の世界だった。

 ここで覚醒。

 

 自分自身について、「他の人が経験したことのないことを経験している」と思うのは、「お迎えに会い、その後も五年以上、生きている」ということだ。

 こういう事例について、様々な情報を収集して来たが、いずれも半年程度で亡くなっている。

 一年もったケースはごくわずか。

 遠縁の金太郎さんが最長で、「青黒い顔色の男」に会ってから一年くらい生きていた。

 

 金太郎さんは、末期がんで「最後の帰宅」を許された。次に入院する時には、もう退院することはない。そんな状況だ。

 家の中で布団の上に座っていると、外から勝手にずんずんと男が入って来て、金太郎さんの前に立った。

 青黒い顔をした男でで、金太郎さんはひと目でそれが「この世の者ではない」と悟った。

 そこで金太郎さんは「俺はまだ行けない。色々と処理することがあるからもう少し待ってくれ」と頼んだ。

 すると、男は無言のまま家から出て行った。

 この最後の帰宅から、金太郎さんは割と長く生きて、一年後に亡くなった。

 

 当方もあの二人組を見た時には、「疑いなく、こいつらはあの世から来た者だ」と悟った。

 そこで「近くに来るな。出て行け」と叫んだのだった。

「あの世」観察を始めたのは、それがきっかけだった。

 あやふやなことが多いのだが、何がしかの助けにはなる。

 必ず何らかの示唆があるから、それに耳を傾け、危険があればそれから遠ざかることで、「不意に連れて行かれる」のを回避できるようだ。

 

 こういうのを信じずにいられるのは、むしろ幸福だと思う。

 ひと度、あの「お迎え」の人影を見たなら、もはや信じずにはいられない。

 人生の中で、誰もが恐怖小説やホラー映画を観たことがあるだろうが、その物語に出る「最も怖い怨霊」の数百倍の怖ろしさがある。

 「自分は非力な存在で、為す術もない」と思い知らされる瞬間だ。

 

 目覚めた時には、体が冷え切っていた。それほど「怖ろしい」と思ったのだ。

 人生は60年から80年くらいで一区切りつく。

 「それで終わり」だと思う人もいる。

 だが、死んだ後の方がはるかに長いし、死後の闇には終わりが無い。

 常日頃からどういう風に生きて、死んで行かねばならないかを、突き詰めて考え、実践する必要がある。

 ほとんどの人は「死後どうなるか」ということについて、「百のうちの一」も知らない。