


◎古貨幣迷宮事件簿 「残り物探索」
現在、収集品を整理しており、雑銭等を出荷中だ。面倒なので、小役付き等をバラ銭に戻しているから、幾らか当たる人も出るかもしれない。
何せ「唐銭通宝」(地方貨)を始め、値の付く品が行方不明になっている。
小型銭であれば、混じってしまったりもするが、確実に部屋にあった鍔銭十数枚が行方不明なのは、どうしても理由が分からない。
あんなでかい品がどこに消えると言うのか。
それはともかく、雑物を移動させているうちに、結論が出ていない品を見付けると、つい手を止めて見てしまうから、何時になっても片付かない。
片付いたかと思っても、納戸やら書棚の裏から段ボールや袋に入った古銭が出て来る。床が見えるようになったかと思えば、また部屋中に「店を開く」羽目になってしまう。
今回はそんな残り物についての考察だ。
(1)鉄餅
まずは「鉄餅」から。これは二十枚くらいがまとまって出たのだが、殆どが無紋で、数枚だけが紋様のある品だった。
ところが、これが何のために作られたのかがまったく分からない。
貨幣とは関係が無さそうであるし、絵銭と言うにはつくりが粗雑だ。
よく考えると、これくらいの鉄素材が溶けた状態で出るのは、鉄山か鉄瓶工房しかない。
高炉なら一度にそれなりの量を溶かすし、溶鉄を流し込む型にもそれなりの基準があり、これは四角く大きいプール型になっている。
鉄瓶の場合、バケツサイズの柄杓一杯くらいずつ鉄を溶かすので、鉄瓶の型に入れた後、少し余りが出る場合もある。
柄杓に残っているとそのまま固まってしまうから、残り湯を出す必要があるが、不純物を取り込んでしまわぬように、大小の砂型を作り、それに入れる。
次回、鉄材として使うのに、これで「使い勝手の良い」餅鉄が出来る。
紋様を入れたものがあるのは、職人の遊び心だろう。
もちろん、以上はあくまで推定による。
(2)当て小判の両替印
小判型の金属板は、その大半が神社や寺社の境内、山門下で売られた縁起物で「招福小判」である。通貨を偽造するのは大罪だから、「両」のような額面を入れたり、金座「後藤」家の家紋を入れたりするのはご法度だ。
その品が明治以降のものである証拠のひとつは、「壱両と書いてある」ことによる。
だが、それを慎重に避けているものもあるから、江戸期に何らかの用途で作られたものもあるということだ。枚数カウントのための「当て小判」もその候補のひとつになる。
この品が面白いのは、サイズを元文小判に合わせてあることと、裏に両替印が打たれていることだ。お金として使うわけではないので、両替印を打つ必要はない。
ま、商人が両替印の出来栄えを試すために打つことはあり得る。
極印は「井」で、通常、「井筒屋」の流れを汲む商人と見られるが、「井筒屋」は全国に暖簾分けしてあるので、どこの井筒屋なのかは分からない。
ここでふと思い浮かんだのは、小判にも「井」の極印があることだ。棟梁印には「井」の極印があるし、現実に手元にそれがある。
そこで妄想を描くわけだが、それは 「もしぴったり一致していれば、面白いことになる」というものだ。
仮に、これが実用に供された「当て小判」なら、座人、棟梁が「試し打ち」することだって、無いわけではない。
もちろん、勝手な思い込みであり願望だ。
もし、そんなものが存在するなら、市場価値が数十倍に跳ね上がるから妄想を膨らますことになる。
だが、やはり極印は一致しなかった。当たり前の結果になる。
しかし、まだ「井筒屋が両替印の試しのために打った」線は生きている。
もし、こっちが確定すれば、これでも十倍くらいの価値はあろう。
ま、元が五百円とかせいぜい一千円かそこらの品だけに、たいしたことは無い。
とはいえ、この「両替印のある当て小判」自体も、「三百枚に一枚」の確率で見付けたものだ。
どの世界にも「物好きはいる」から、コイン収集家には見向きもされない「当て小判」を集めている人もいる。もちろん、骨董や古民具の世界の収集家だ。
何百種類と並べられられるのなら、きっと壮観だろうと思う。
時々、オークションでこれといった「当て小判」を追いかけてみることがあるが、落とせた試しが無い。おそらく、金銭的評価を度外視して、集中的に集めているコレクターがいるのだろう。3千円を過ぎ、4千円あたりでもはや脱落してしまう。
熱心なコレクターは、金額など関係ないから、いくら上げても落とせないだろうと思う。
小判型には同じタイプが多いから、種類を集めるにはかなりの根性を要する。
(推敲や校正はしませんので書き殴りです。不首尾は多々あると思いますので、念のため。)