日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎令和元年七月十四日の振り返り

f:id:seiichiconan:20200712152841j:plain
f:id:seiichiconan:20200712152827j:plain
f:id:seiichiconan:20200712152816j:plain
f:id:seiichiconan:20200712152806j:plain
f:id:seiichiconan:20200712152752j:plain
令和元年七月十四日撮影

◎令和元年七月十四日の振り返り

 これらはほぼ一年前の画像になる。

 家人が夏休みに里帰りすることになり、某空港まで送って行った。

 この頃はいつも赤外線カメラを携帯していたのだが、思い付きで早朝の空港を撮影してみた。まだ午前四時頃なので、空港内には明かりも点いていない。

 

 視覚可能な波長域の違いにより、「あの世の者」、要するに幽霊を、人によって目視したりしなかったりするという違いが生じるが、画像でも同じことが起きるらしい。

 私は割合、可視域と可聴域が広いので、画像からも異常が分かるのだが、この画像付近がちょうど見えなくなる境界線のようだ。

二枚目以降の拡大画像で、中央に二人の人影が見える人は、あまり多くない模様。

 私の場合は、顔の表情までうっすらと見える。

一年前は顔の表情までは分からなかったが、画像自体が変わったのか、見る側が変わったのかは分からない。

 また一年前には雑音や錯覚が多く、周囲がガタガタしていたが、時間が経つとそういうのは消えるので、分かりやすくなる。

 二人組とは別に、右側に「大きな女」が立ち、私をガン見しているのだが、これが分かる人はいないと思う。いつも気を付けて眺めていると、次第に微妙な違いが見えるようになって来る。要するに経験による。

 

 五年前、病棟のベッドで横になっているときに、二人組の「あの世の者」が私を「お迎え」に来たことがある。その経験があるため、「二人」が立っているだけで、思わず戦慄を覚える。昨年はやはり動揺した。 

 しかし、この時の二人組に特別な意図はないようだ。

 ただ「先方からも私が見える」ので、「コイツはどういうヤツか」と思い、眼を向けていただけらしい。

 これも空港ならではで、大勢が行き来する駅の中ではこうは行かない。

 死者が常に後悔や苦痛を吐き出しているので、見させられる方がウンザリする。

私はなるべく駅に行かぬようにしており、どこに行くのも車で行く。

 それもその筈で、相手からは私が見えるし、見えるとなるとその中の幾つかはそのまま、後ろをついて来る。仕方なく、様々なお寺や神社に送り届けるわけだが、手間が掛かって仕方がない。