◎夢の話 第803夜 再会
7月12日の午後11時に観た夢です。
ふと我に返ると、俺はバスに乗っていた。
すぐに停留所が来たが、「ここだ」と思い、そこでバスを降りた。
都心のどこかの街の裏通りのような風情だ。
降りてはみたが、その先どうするつもりだったのかを憶えていないので、とりあえずベンチに座った。
どうやら、「俺」は本来の俺より、幾歳か齢を取っている模様だ。
足腰が覚束ない。
呆然と通りを眺めていると、そこに一人の女性が通りかかった。
女性は「あら」と言って、足を止めた。
「お久し振りね。わたしよ。分かる?」
そりゃ分かる。かなり昔に付き合っていた女性だもの。
俺は若い頃から今に至るまで、女性の気持ちには疎い。
「もう振られた」と思い連絡をしないようにしたら、何時の間にか俺の方が「放り棄てた」みたいな話になっている。
そんなことが一度ならず幾度もあった。
俺は捨てられた方なのに、何故か俺の方が「勝手な男」だと非難されるのだ。
この女性はそういう類ではなく、正真正銘、俺を振って去った女性だった。
相手を振った側は相手のことを忘れずにいるが、振られた側は、あっさり忘れられる。男女関係にはそんな法則があるそうだが、実際、俺はこの女性のことをほとんど思い出さなかった。
「こりゃ、お久し振りです。全然変わりませんね」
「全然」はリップサービスで、目の前の女性は大体、四十歳の手前くらいに見えた。
もちろん、これくらいだと、まだ各所に「若さ」を残している。
「そんなことはないわよ」と言うが、まんざらでもなさそう。女性らしく、御返しのお愛想が返って来ない。
(ここは「あなたも変わらないわよ」の返しなのだが、世の中は女性を中心に回っているから仕方がない。実際、今の「俺」は十分に老人だった。)
「久しぶりだから、お茶でもしようか」
言葉遣いも若けりゃ、自ら先に言い出すところも昔通りだ。中身も変わっていないわけだ。
そこで、一緒に通りを歩き出した。
歩きながら、俺は俺自身の身の上のことを考えた。結構なお年寄りの筈だが、家族のことを思い出せない。女房や子供たちがいた筈なのだが・・・。
「俺はもう認知症なのか」
すると、女性が「え」とこっちを見た。
そして、その場に立ち止まった。
「わたしの家はすぐそこなの。この辺はゆっくりお話が出来るお店が無いから、わたしの部屋に行きましょう」
何となくがっかりする。
俺はジーサン姿だが、しかし、いくらジーサンでも男は男のつもり。それを「安全牌(懐かしい表現だ)」のような扱いをされちゃあね。
(茶飲み友だちかよ。)
でも、ここで、家族のいる家に招待されているなら「別に問題ない」と気付いた。
「良いですよ。特に用事も思い当たらないし」
女性の後ろをついて行く。
すると、僅か五十メートルほどで、小ざっぱりしたアパートの前に着いた。
三階建てだが、各部屋に丸いテラスの付いた、洋風の建物だった。
「急に押し掛けて、ご家族は驚かないのですか」
俺がそう問うと、女性がにっこり笑う。
「大丈夫だよ。わたしは独身だもの。家族はいない」
ここでまた考えさせられる。
今が四十歳の手前くらいだから、あれからずっと独身でいたか、あるいは結婚したがすぐに別れたか。その二つにひとつだな。
この時は、もはや俺は自分自身が老人であることを忘れていた。
部屋は昔通り、きれいに整頓されていた。
「いい部屋だね。きれい好きなのがよく分かる」
「エへへ。どういたしまして」
頭の中では、あれこれと質問が渦巻いているが、言葉には出来ない。
やはりそれでは失礼だ。
(どうにも落ち着かないから、お茶をご馳走になったら、適当なところで腰を上げよう。)
頭の中でそう考える。
女性は台所に立っていたが、飲み物を持って戻って来た。
ソーダ水のようなグラスに口を付けると、ウイスキーソーダだった。昔でいう「ハイボール」ってやつだ。
(こりゃ酒じゃないか。なんか変な展開だ。)
「あれからどうしていた」みたいなことは、こっちからは訊けない。独り身の女性には言い難いこともあるからだ。
そこで、俺は女性が話し出すのを待っていたが、しかし、女性の方は部屋に入ると、急に無口になった。
会話が途切れがちになり、沈黙の時間が増える。
「ご馳走さま。ではそろそろ」と言い出すタイミングを計っていたが、口を開き掛けた、その瞬間に、女性が俺に言った。
「わたし。ずっとあなたが来るのを待っていたのよ」
これで、俺は思わず顔をしかめてしまった。
こりゃ、最も不味い展開じゃないか。
俺は年寄りで、この女性はある年齢のところで止まっている。
状況的には、この女性が「今はもう生きてはいない」という意味だ。
おまけに、「今まで待っていました」じゃあ、「お迎えに来ました」って意味じゃないか。
それですべての辻褄が合う。
「おいおい。これは夢だと言ってくれ。ただの夢だとね」
心が震える。
おまけに、俺の心臓の方もワナワナと震え始めた。
ここで覚醒。
その「女性」は実在の女性だが、何となく「もう死んでいる」ような気がする。
おまけに、この夢の中では現実の家族と縁が切れているから、たぶん、俺の方も死んでいると思う。