日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「この世」と「あの世」の接点 「実際にはいない筈の人影」 その2二人組(続)

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そこにはいない筈の二人組

◎「この世」と「あの世」の接点 「実際にはいない筈の人影」 その2二人組(続)

 もはや五年以上前のことだ。病気で入院中にベッドに半身を起こして座っていた。

 すると、病室の入り口から「二人組」の男が入って来た。

 片方はジャンパー、片方はジャケットを着ていたが、顔つきを見ると、到底、この世の者とは思われない。いずれも普通の五十台くらいの男の顔なのだが、何とも言えぬ「凄まじい形相」だ。

 この周辺は幾度も記したので省略するが、間違いなく「あの世から来た者」だと思った。

 二人組は、真っ直ぐに私のベッドに来ると、私を注視しつつ、手を伸ばして捕まえようとした。ベッドの足の方から前に手を伸ばして来たのだ。

 私は思わず「やめろ。来るな」と叫んだ。

 周囲には他の患者がいたから、その患者たちは私が叫ぶのを聞いて驚いたことだろう。たぶん、その患者たちには二人組のことが見えないからだ。

 男たちは私を掴もうとしたのだが、途中で手を止めた。

 まるで私と男たちの間にガラスのような透明な板があるかのように、壁に当たったのだ。

 男たちはほんの少し考え、そのまま立ち去って行った。

 思い出すだに悍ましい瞬間だった。

 

 その記憶が今でも生々しく残っているため、「二人組」の人影を見ると、少なからずドキッとする。私に対する「お迎えかもしれぬ」と思うからだ。

 

 さて、ここ数年の「二人組」を調べると、昨年では成田空港で撮影したものがある。

 家人が里帰りするので空港に送って行ったのだが、まだ朝の四時台だった。

 家人の後ろ姿を見ているうちに、何となくもやっとした感覚を覚えたので、赤外線カメラで撮影した。

 この時は状況がまだ分からない。

 「もやっとした」り「ざわっとした」りした時、すなわち、「何となく嫌な感じ」がした時には、必ず警告を発するようにしているので、この時も、「止めろよ。俺にはちゃんと見えてるからな」と声に出して言った。

 後で画像を開くと、照明が乏しいせいで不鮮明だが、男二人組がこっちに歩いて来るところだった。

 

 ちなみに、この「自分はお前のことが分かっていると警告する」のは、緊急避難をする時の重要なアイテムだ。多くの場合、相手の足を止める。 

 なお「嫌な感じ」がなく、「何となく誰かがいる感じ」だけの時には、ただ「お邪魔はしませんので、少し居させてください」「通らせてください」と丁寧に頼むと、何も起きない。

 あの世の住人に対する時には、「敬意を示す」ことが基本になる。

 

 二枚目の画像は、今年の一月に撮影したものだ。随分と昔のような気がするが、まだ今年の話らしい。

 神殿前で自分自身を撮影すると、複数の人影が写った。

 右側の黒い人影は、参拝を終え立ち去って行こうとする現実の参拝客になる。

 同じ門の左側に二人の女性が写っているのだが、私にはこの人たちがそこにいた記憶がまったくない。

 ところが、あまりにもリアルなので、二人が現実にいたのかいなかったのかを確かめるのに、あれこれ時間がかかった。

 結論は「二人はその場にはいなかった」ということになる。

 

 同じ門の下にいるのに、女性①の大きさは、右側の男性とはまるで違う。

 さらに、その女性の頭と肩の間隔が異様に開いている。

 ま、こういう感じのは、概ね「首を吊った」ケースになる。

 自死する場合、死の直前直後の姿のままでいることがあり、首を吊った人は首の骨が外れたり、眼が飛び出し舌が下がったりしている。

 人はどうせいつかは死ぬのだから、自死などしない方がよい。

 

 女性➁は判断が容易だ。この女性は①の女性よりも先の方にいる。

 この境内の場合、この門の先には階段があり十段ほど下る。

 要するに、その位置に人が立つことは出来ない。何故ならそこは空中だから。

 

 この二人も、二人でワンセットだと思う。

 どういう意図があって姿を現すのかはまだ分からない。

 ただ、この手の画像にしては、思わず自身の眼を疑うほど鮮明に見えている。