日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 悲喜交々 4/16 「今に感謝」

◎病棟日誌 悲喜交々 4/16 「今に感謝」
 以前より体調が良いと言っても、所詮は障害者だし、また否応なしに身体機能の劣化が進んでいる。先日、傷みのない歯が粉砕消滅したが、たぶん、同じことが体中で起きている。
 原因不明の腹痛や下痢が頻繁に起きるし、久々に「雷」も落ちた。この「雷」というのは、ある一瞬で「ダアン」とスイッチが切れる感じのことだ。(ここで電話が鳴る。)
 ま、脳内の毛細血管が破裂しているのかもしれんが、「ダアン」の感じがちょうど雷に似ている。
 しかし、この世で最も幸せな死に方は、「道を歩いていて、突然雷に打たれて死ぬ」ことだと思う。苦痛を感じる暇がないし、寝たきりになり周囲に迷惑をかけることもない。
 母は亡くなる日の昼まで、自分でトイレに行っていたが、なるべくそうありたい。

 前絵沖が長くなったが、要は「この日は体調がイマイチ」ということ。
 息子が就職したので、朝は妻子三人を駅まで送るのだが、それぞれ駅も時間も違うので、三回往復する。その後で自分の通院だ。
 「さすがにこれはキツいよな」
 そう思った瞬間、頭の中に返事が来た。
 「皆が健康で、それぞれ働いているんだし、家族の役にも立っている。今は幸せだと思うよ」
 ま、その通り。息子はゲームクリエイターの職種に就いたが、大学では二年間ニート生活をした。結局、卒業せず、休学してネット産業に就職。その世界では学歴が関係なく、中卒でも構わんそうだ。もちろん、「仕事が出来れば」で、適応できぬ者はどんどん辞めて行く。力が足りねば、辞めざるをえない。
 息子も何か月か思案していたので、「別に、日本全国には空いた家と化してくれる畑が山ほどあるんだし、しくじったら農業をやるつもりでやれるところまでやればいいんじゃねーか」と助言した。もちろん、休んでいる田畑を使えるものにして、そこから作物を収穫できるようにするのは、たぶん、IT産業よりもキツいと思う。西瓜を大きく丸くして甘くするには、尋常ならぬ知識知恵と努力が要る。
 だが、前に踏み出さねば、何も生まれない。
 当方の余生は長くないから、息子にヒッキーのまま家に居られるよりは、外に送り出した方がよい。
 「なるほど。多少キツかろうが、これも進歩だわ」

 ここでハッと気が付く。
 「さっき『今は幸せだと思うよ』と言ったのは、俺の声じゃない」
 頭に響いたのは、子どもの声だった。
 しかも、前に聞いたことのある声だ。
 あれは、岩手町の国道を南下している時のこと。
 当時は脾臓胆嚢の筋膜腫に苦しんでいたが、この時もそれが痛み出した。「休む場所を探そう」と思った時に、「御堂観音」の看板が目に入った。
 その時、「声」が聞こえた。
 「ここにお参りして、泉の水を飲めば治るよ」
 この時の子どもの声と同じだった。