日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎日本の七不思議「何故謝らないのか」

日本の七不思議「何故謝らないのか」
その1)「政治家の裏金」
 岸田党総裁は「謝罪」「謝罪」と言うが、当人たちの行動が伴っていないので謝罪は言葉だけ。
 裏金を作った理由や使い道などはどうでもよく、紛れもない所得隠しなのだから、納税すればよいだけ。
 企業が税務署に申告漏れを指摘され、加算税を含め納税した時には、理由とか使い道などには関係なく追徴されるだけ。
 政治資金なり所得なりに申告すべきところをしなかったのだから、事実上「脱税」だ。なら納税すれば一般国民と同等の扱いになる。それをしないのでは反省も謝罪もしていないということ。
 こんな当たり前のことが分からないのが不思議だ。

その2)「芸人M本H志・性加害報道」
 焦点は自分の立場を利用して素人(またはタレントの卵)の女性を「食っていた」ところ。
 性加害に強制性があったかどうかなどは関係ない。
 早い段階で、「俺は中高生の時には全然女子にもてず悔しい思いをしたので、今も欲望が抑えられないのです。そのせいで女性たちが悔しい思いをしたなら、申し訳ないです」と謝ってしまえば、「ま、そりゃそれで、女性の方も何がしかの思惑はあったわけだし」に落ち着いたかもしれん。
 そこを「そんな事実はありません」「訴えます」と対応すれば、そりゃ怒りに拍車がかかる。
 この人は実際、中高生の時には女子には全然もてなかったろう。勉強が出来ず、スポーツも出来ず、かと言って不良としても中途半端だ。いわゆる「イチビリ」の類で、クラスの中では「おどけた奴」の立ち位置だった。芸人としての成功が無ければ、女性はこいつとは寝たくない。当方が女性ならコイツみたいなエロジジイとは「絶対にセックスしたくない」と思う。
 今騒ぎになっているのは、この「そもそもしたくないヤツだった」ことに遠因がある。もてないヤツには独特の匂いがあるが、このオヤジジイはその典型だ。
 なら、十年以上前のことなんだし、さっさと謝れば、案外丸く収まった。
 「嫌な思いをしていたならごめんな」と直接声を掛けることで、怒りが静まったと思う。
 これが出来ないのは、やはり何時しか「傲慢になっていた」ということだ。

その3)「M木ようこ・エアガン事件」
 これも早々に謝ってしまえばいいのに、何故突っぱねるのか?
 「泥酔していたので、その時何があったのかは知りません。もし不快な想いをされていたならごめんなさいね」
 文句を垂れているのは芸人だ。
 まともな芸人なら「いやあそうでしたか。痛かったですよ、エヘヘ」で終わる。
 芸人はイジられてナンボだから、これを笑いに変えていく。
 そこでのやり取りで耳目を集め、双方ともウインウインの状況に持って行くのが筋道だ。
 「ケツを撃たれたことが縁で友だちに。イタかったが有難い」で笑いに変えていくべきだ
 そこを「知りません」と言えば、芸人も「嘘で言い掛かりをつけた」と言われるのが嫌なので、こじれる。
 芸人なんだから一般人の「斜め下」に見えるのがもっとも望ましい環境だと思う。
 これが分かっていないのでは、芸人の方も「あまりこの商売が向いていないのではないか」と思われてしまう。
 ここは双方とも隠密裏に代理人を出して、「事態をどう納めるか」を相談した方がよい。作家にシナリオを書かせて、大団円を招くべきだと思う。現状では、女優の値段は駄々下がりだし、芸人は傍から見ても「芸人で生きるのは無理」と思えるほどだ。

 頭など幾ら下げても金は減らぬし、むしろチャンスに変えられるかもしれん。もちろん、訴えられるなどして金が減りそうな箇所については、口頭では「私は憶えていませんが」とぼやかして、「心情を傷つけたこと」について謝罪すればよい。
 もちろん、謝罪とは行動が伴って謝罪になる。
 直接会いに行き、「あの時はごめんなさい」と頭を下げろ。
 もちろん、こういうのは早い段階でしか通用しない。

 ところで、街に出ると、次の選挙を見据えて演説カーが走り回っている。「裏金があ」「裏金があ」!と叫んでいるが、だからこの政党はダメなのだと思う。
 これを選挙の争点にしようとするから、支持率が上がらない。
 裏金の話は「政治をどう行うか」の話なので、「何を行うか」とは関係がない。選挙での争点はあくまで「この先何を行うか」だ。それに、政治資金なら与野党の差が大してあるわけではない。
 「黙っていればわからない」ようなちょっとした不正は、政治家のみならず誰でもやっている。
 一般人だって、出張旅費をごまかすくらいのことはやっているわけだから、裏金政治家の本音は「たかがこれくらいのこと」と思っている。だが、露見したら「まずは謝る」もんなんだよ。この場合の謝罪とは「申告漏れを謝罪して納税する」ということだ。
 ま、脱税は犯罪だから、どうしても認めたくないわけだが、そのことで事態はどんどん悪くなって行く。これが見えないことが不思議でならない。

 岸田党総裁がいくら「謝罪」を口にしても、心も行動も伴っていない。ちなみに「党総裁」と記すのは、いずれ程なく「総理ではなくなる」と思うからだ。

 岸田氏に見えるのは、「言葉に心がともなっていない」ということ。いつも口先だけで、重みが無い。

 
 さて、当方の大学の師匠は「自分が全面的に正しく相手に百%の非があると思える時でも、三分は相手の言葉に耳を傾けるべき」と言っていた。
 この場合の「耳を傾ける」は「相手の言うことを聞く」のではなく、「心情を汲む」と言う意味だ。要は「寄り添う」ということ。
 人間関係を滑らかにするという意味では、まさに金言だと思う。

 上記の例では、全員が「相手を突っぱねて、見下している」と思う。ならこじれるのは当たり前だ。