◎病棟日誌 悲喜交々 1/20 「祈祷の開始」
昨日から腹具合が悪く、幾度となくトイレに駆け込んだ。
病棟で看護師に伝えると、「他にも沢山そういう人がいる」とのこと。5、6人がやはりお腹の具合が悪いそう。
ノロやインフルなら発熱するし、嘔吐などの症状を伴うが、それがないので、別の要因らしい。
だが、何となく感染症の気配がある。
結局、治療中に二度中断しトイレに行った。こういう時には車椅子での移動になり、看護師に押して貰う。血圧の急変で意識を失う患者がいるからそうするわけだが、実際に当方も一度意識を失ったことがある。
だが、移動に時間がかかるので、途中で漏らしそうになった(苦笑)。水便だと括約筋が役に立たない。
車椅子で移動中に、同年入棟のNさんに会った。
あちらも車椅子での移動だが、Nさんの場合は足の具合が悪いからということ。
「また傷んで来た」とNさんが零した。
動脈硬化は腎不全患者の宿命だから、Nさんも当方もいずれ足を切られる。時期が少し違うだけ。
ベッドに戻ると、医師の問診が始まっていた。
隣の医師と患者との会話が聞こえる。
隣のジーサン(七十歳くらい)は治療中に血圧が異常低下するのだが、それでもあまり上げる措置を行わない。
その理由は「心臓の大動脈に動脈瘤があるから」と言う話だった。
血圧が上がると、瘤が破裂する可能性があり、そうなるとほぼ即死だ。
五十台くらいまでなら手術を受けるのだろうが、大動脈の手術なら術中に亡くなる割合が結構高い。安静にして瘤と仲良くするという選択肢も当然ある。
循環器病棟に入院している時に、動脈瘤の手術を受ける患者を数例見たが、戻って来た人はいなかった。ま、瘤が出来た位置にもよる。
似たようなケースが腎臓癌だ。
腎臓の場合、急性腎不全に陥ると一日二日で死んでしまう。
慢性腎不全なら透析でそれなりに生きられるが、急性は助からない。癌の切除によって、死期が早まるリスクがかなり高まるので、腎臓の場合は「癌と仲良くする」道を選ぶ人も多い。
それなら、少なくとも半年一年は生きられる。上手くいけばかなり長期に渡り生きられる。
よくありがちな「摘出手術は成功したが、患者は亡くなりました」てな事態を避けられる。
医師は手術を勧めるだろうが、ここは患者の自己決定による。
四十台ならリスクを覚悟で受けるだろうが、六十を過ぎたらそもそも進行が遅いのだから「変化をなるべく抑える」方が無難だと思う。
途中でベッドを離脱したので、その都度チューブを繋ぎ直して貰った。
その担当がユキコさんだったが、手つきを見ていたら肌が滑々だった。
思わず「若いですね。肌がきれい」と伝えると、ユキコさんは「褒めても何も出ませんよ」と答えた。
「ま、この時期に出るのは幽霊だけだね」と応じると、「幽霊が出るのは夏ではないのですか」。
「冬は空気が乾燥しているから、目視しやすいですね。そもそも年中いますけど、眼に見えることが多いのは冬です」
実際、今は道端に立っている人影を時々見る。
冬はガラス映像に頼らずとも、目視で黒い影を見られるのだが、そういうのに慣れていないと「ただの影」と認識されると思う。
普通の暮らしを送っている人なら、あまり立ち入らない方がよい・知らぬ方がよいジャンルだ。
現実に関わっている当事者以外は、そういうことがあると理解する必要もない。存在しないのと同じこと。その方が無難に暮らせる。
死霊の声がどれほどの大きさで聞こえるかを知らぬので、「気のせい」だとか「妄想」だとか言える。
現実に聞こえるそれは、この記述で想像するよりはるかに大きな声なので、「絶対に聞き間違いではない」と確信するほどだ。
まだそこまで至っていないなら、頭から除いた方が良い。
関心を持ったり、見てしまうと、先方も眼を向ける。
眼に留まり、寄り憑いて来たら、本格的に始まってしまう。
その時には、誰も助けてくれぬし、理解もしてくれない。話を聞いてすらくれぬのだから、そうならぬように離れていて、関わりを持たぬ方が無難だ。
もちろん、甘く見たらダメだ。頭で考えるのと実際はかなり違う。何事も舐めたら必ずしっぺ返しを食らう。
さて、治療の後はかなりしんどいのだが、そのまま高麗神社に向かった。
七八年前にも、ほとんど歩けぬ状態で、おまけに「お迎え」に来られたりした時だったが、その後1年あたり150回以上参詣参拝することで死期を遠ざけた。
かつて踏んだ道なので、今回も諦めずにやってみることにした。
あの時には、猫のトラに助けられたが、今回は自力で対処する必要がある。
心を整えるには信仰心を柱にするのが手っ取り早い。
「信仰はよりよく生きて行くための杖」で、それ以上でもそれ以下でもない。
もちろん、壺を買っても幸運は来ない。イカサマ宗教は幾ら拝んでも、お金を寄付しても何も変わらない。