日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌 悲喜交々 7/1 「この人たちは俺のすぐ先を歩んでいる」

病棟日誌 悲喜交々 7/1 「この人たちは俺のすぐ先を歩んでいる」

 土曜は通院日。

 ひと部屋に二十数床が並ぶ大部屋にいるので、隣近所のやり取りが筒抜けだ。

 「ガン検査の結果」みたいな話も全部聞こえる。

 生き死にに関わる話でそうなのだから、基本はプライバシーがない。

 

 隣のベッドからアラ四十の女子が去り、その代わりに七十歳くらいのジーサンが入って来た。この入れ替わりは、このベッドが「入り口に近い」という理由からで、出入り口に近い位置は、基本的に重篤な患者のスペースだ。

 逆隣のオヤジジイ(六十五歳くらい)とアラ四十女子が場所を空けたわけだが、当方には声が掛からなかったところを見ると、どうやら当方も重篤な方らしい。

 ま、一時は「稲荷の障り」で十三キロくらい体重が落ちたし、今年は今年でコロナに感染した。

 客観的に見ても「ヤバイ口」だ。

 

 隣の患者は、治療の日々がなかなか辛そうだ。

 腎臓の機能不全自体が体に来る病気なのだが、治療もキツい。

 特に治療が終わった後は、歩くのも覚束なくなる。

 

 医師が「漢方の効き方はどうですか?」とオヤジジイに訊いていた。

 ああ、体のだるさを軽減するヤツだ。

 前回当方が勧められたのと同じものね。

 となると、っ当方と「症状が同じ」ということだが、隣の患者はコロナに感染したわけではない。

 

 「それなら、俺もコロナの後遺症というわけではなく、腎機能がさらに弱ったということかもしれん」

 腎臓の機能は極めて多岐に及んでいる。

 血液をろ過して老廃物を漉し取るだけでなく、エネルギー(ブドウ糖)を吸収したり、ホルモンを分泌したりする。

 小水を作るだけではない。

 腎機能が弱る時には、まず搾尿の機能が損なわれ、次にそれが他の機能に及んでいく。最も重要なのは、最後のホルモン分泌で、これが損なわれると生きてはいられないそうだ。

 よって、腎不全には程度の違いがあり、本物の不全症になると数日で死ぬ。

 このため、そちらの機能低下に従って、患者はどんどん具合が悪くなって行く。

 

 オミクロン株は腎臓病患者を直撃すると言われるが、あれは「残っている機能を毀損する」という意味ではないかと思う。

 現に今の当方は尋常ないくらい具合が悪いし、その症状は「腎不全のかなり進んだ高齢患者にそっくり」だ。

 隣の患者は半年前に入棟した患者だが、これまでの例では、「半年後にはこの病棟にいない」と思う。

 それなら、当方の辿っている道も隣の患者と似たりよったりだ。

 真面目に「残りの時間をどう使うか」を考えるべきなようだ。

 

 ちなみに、「糖尿病の合併症で腎不全になる」ケースは実はあまり多くないのだが、時々起きる。

 糖尿病になると、血糖の吸収抑制剤を処方されるが、これは主に肝臓か腎臓での吸収を抑制するものだ。

 このうち多用されるのは腎臓でのそれで、ここでの吸収を妨げる。薬は基本、劇物なので、党の吸収を抑えると同時に、腎細胞にも悪影響を与える。

 糖尿病が「生活習慣病」で、腎不全はその合併症。よって腎不全患者は生活習慣が悪かった。「よって本人のせい」という論調がよく使われるが、実際に周囲の患者を見ると、むしろ控え目な生活をしていた人ばかりだ。

 「真面目にきちきちと糖尿病治療薬を飲む」ことで、腎不全が早まるという側面もあるのだ。

 この「薬を飲む」ことも広義の「病気の一部」と見なすなら、「糖尿病は腎不全の誘因」であることは間違いない。

 医師も解釈が間違っているケースが多いが、ここは「誘因」であって、「原因」や「引き金」ではない。「統計上の有意な違い」があるが、かといって、生活習慣が規則正しくとも糖尿病になる人は沢山いるし、さらには糖尿病の程度がごく軽くとも腎不全症になる人もいる。あくまで相関関係で、「それがあると促進される」ということだ。

 何故なら、各々は相関関係で、因果関係を説明するものではないからだ。

 たまに医師がバカに見えることがあるが、医師は「薬の副作用」については無意識に避けるので、それが頭の中に無いように見えるところから来る。

 ま、「薬に副作用・副反応があり、これで別の病気になる」道筋が周知されれば、世の中は医療過誤の裁判だらけになってしまう。

 

 さて、治療の後に食事が出るのだが、この日は少し早めに行ったので、保温時間が短かったらしい。ご飯が硬過ぎず調度よかった。

 デザートは、缶詰の果物が数切れのことが殆どだが、小皿を開くと、ミカンの切れ端が規則正しく並んでいた。

 これは偶然には出来ないから、配膳担当の誰かが、意図的にきれいに並べたということだろう。

 「きっと、この日の配膳の最後の方で、心に余裕があったのだろうな」と想像した。

 

 帰路は大変だった。

 買い物に寄ろうとしたが、スーパーの床に座り込みそうになったので、そそくさと帰ることにした。

 執筆を再開したので、大腿の血行が悪くなり、脚が痺れる。

 再起の道は険しいが、当方は「諦める」ことに慣れていない。

 

 夜になると、久々に知人の女性から連絡が来ていた。

 双方が「生涯のマブダチ」と公言する一人だが、当人によると、「最近、母親が亡くなった」とのこと。

 お母さんは腎不全症から、脚を切断するようになり、コロナにも感染していたらしい。体力が無くなっていたし、「ウイルスが直撃し重症化させられる」タイプだった。

 

 隣の患者と言い、この地人のお母さんと言い、当方のすぐ先を歩んでいる。

 覚悟も新たに、「気を引き締めて行こう」と思った。

 

 「こんな状態の俺でも、きっとやれることはある筈だ」

 これが合言葉であり、掛け声だ。