日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎見下ろす女

見下ろす女
 高麗神社に参拝すべく家を出たが、途中でショッピングセンター(SC)の前を通った。
 ここに千円カットがあることを思い出し、先に髪を切って貰うことにした。
 最近はオヤジジイの定番である「スポーツ刈り」にすることが多いので、床屋は何処でも構わない。どうせバリカンだ。
 美人理容師に十分で切って貰ったが、店を出るとSCなので、つい買い物をした。車に着き、そこで「生モノを買っちまったから遠くには行けない」と気が付いた。
 そこですごすごと自宅に向かったが、家の近くの八幡さまなら参拝できる。
 こちらには初詣もしていなかったので、参拝することにした。

 境内に入ると、すぐに「あの世現象」の気配がした。
 この神社から五十㍍坂を下ったところに、いわゆる「スポット」があり、頻繁に煙玉や人影が写る。某金融機関のビルの上の方にある施設では、たぶん、あれ(幽霊だが)が出ると思う。
 その場では、もちろん何が起きているかが分からぬのだが、拡大して見ると一目瞭然だった。
 最初に神殿の画像を開いたが、窓ガラスが気になるので拡大すると、空中に女の頭が浮かんでいた。
 神殿は地上より高い場所にあるから、窓ガラスには地上三㍍くらいの景色が映る。要は女は空中にいる。
 どうやら女は下を見下ろしているのだが、何を見ているのかはすぐに分かった。
 下にいるのは私で、女は地上にいる私を三㍍上から見下ろしているのだった。
 「おいおい。まるでホラー映画じゃないか」
 だが、これまでも「何だか上の方に視線を感じる」ことは多々あった。昨年、廃病院の事務棟二階にいた女の気配を感じた時もまさにその感覚だった。
 誰かが見ているのだが、周りには誰もいない。
 顔を上げると、上に確りと女の姿があった。
 悪意を持つのかどうかはまだ分からぬが、構図的にもの凄くキモい。

 同時進行的には何も分からず、そのまま社務所の前でセルフチェックをした。
 ちょうど三時過ぎで逆光となり、何者かの気配はあるのだが、はっきりとしたものは分からなかった。この季節でこの位置だと、二時前か四時前がちょうど良いと思う。

 何となく傍に女(見下ろしていたのとは別の)と子どもの存在を感じる。
 思わずこう祈った。
 「どうかこれが巫女さまとお稚児さまでありますように」
 味方が傍を守ってくれているなら、他のどんなヤツが見ていても平気だ。
 こと「あの世」に関しては、私には心強い味方がいる。

 冒頭の画像は、これが女だと認識する人であれば、かなりキモい。そうでなく「偶然生じたただの影」に見える人は、死ぬまで苦痛なく暮らせる。(死ぬ直前と死んだ後のことは知らない。)
 背後の木の枝が見えるが、頭はその前にあるのは確実だから、いずれにせよ空中にあるものだ。その真下には私。

 

追記)再確認したが、眼も開いていたので「気のせい」ではなかった模様。
 こういうの(眼)は時々あるが、「こちらが見ているか(自分が見えているか)」を確認するための視線だと思う。
 自分を認識して欲しいから実体化し、姿を現す。
 時々、こういう画像を「あまり見詰めるな」と記すのはそういう理由だ。
 音と同じように、いざ波長が合えば共鳴してしまう。

 

 ちなみに、もちろんだが、単なる思い過ごしだったりする可能性も否定しない。

 見る人によっては、ただの「木の枝がそんな風に見えただけ」と言う解釈でも当たり前だし、それで結構。(共感や理解を求めているわけではないので受け止め方はその日人の問題だ。)

 当人(私)は玄関や階段下で響く声を聞いているので、どういうものを見ても結びつけてしまうきらいはある。

 当事者でない限りは、興味を持つ必要もない。当人はリスクを排除するために行っているのであり、当人以外にはそのリスクそのものが存在しない。