◎八月八日の画像検証
知見を積み重ねるためには、「言える部分」と「言えぬ部分」、そして「よく分からぬ部分」を整理する必要がある。
そこで八日の画像を幾つか検証することにした。
まずは左側の「影」から。
この門の下は天井の陰になることしか、影の出来る理由はない。しかし、そもそも空中に影は出来ぬから、とりあえず説明に困る。
遠目から見ると、黒いポンチョ(冬服か雨用)を着た女性が背中を向けている様子にも見えるのだが、そこにいた参拝客ではない。体の向こうに向こう側の板塀が見えている(透過している)。
そもそもこの時期にポンチョや外套を着たりはしないので、その場には似つかわしくない人影だと言える。背中を向けた女性の人影は「人影」で、外套に見えるのは「女の頭」だったりする可能性もあるわけだが、無理に結論付ける必要はない。
ひとまず「よく分からない」でよし。幾度か同じ構図で撮影を試みると、真相に近付けるやもしれぬ。
画像右の「二人連れ」は、位置的に神殿の前の床に立ってはいない。階段下から上に向かって撮影したので、階段の上にある床は写らない。二人は概ね空中にいると思う。
ま、これが正真正銘の「人影」だった時の話だ。あくまでスナップ画像だけに、「見間違い」や「錯覚」も時々起きる。
少し嫌な面は、「二人連れ」は何らかの「使者」的な意味を持つことがあることだ。
私は自分をあの世に連れて行こうとする死霊に会ったことがあるが、その時も二人連れだった。(そのことについては、幾度も記して来たのでここでは省略。)
過去七八年の間、私は年間百五十日以上もお寺や神社を訪れていたが、「回数を減らした方が異変が少ない」ことに気付き、今は週に一度に減らしている。
実際、以前より異変を感じることや声を聞いたりすることが減ったが、けして「無くなった」わけではないらしい。気付き難くなっただけ。
ま、つい先月、車で外出した折に、後部座席に「女」が乗っているという経験をしたばかりなので、やや敏感になっている面がある。
席に座っていてくれるだけならまだしも、身を乗り出して運転席の私の頭のすぐ近くに顔を寄せていた。息遣いのような気配や香水の匂いまで感じたので、ハンドルを切り損ねるところだった。あまり動じぬ方なのだが、さすが両手が塞がり無防備な状態では、怖ろしさの方が勝る。
「背中を向けた女」なのか、「顔だけの女」なのか、あるいは「その両方」なのかは確定出来ぬが、「気のせい」ではないようだ。
ちなみに、女が「背中を向けこちらを振り返ろうとする姿」を見てドキッとするのは、二年前の画像のことがあったせいだ。
この時には、あまりに鮮明なので、これが幽霊なのか、あるいはたまたまそこにいた実在の人物が紛れ込んだのか、しばらく判断がつかなかった。
だが、一般的な物理ルールに従っておらず、光を曲げている要素があるから、この「見返り美人」は幽霊で間違いないと思う。そもそもコイツも空中に浮いている。
ちなみに、柱から顔だけ覗いている「眼鏡の女」の方には、少し見立て違いがあり、下の白い「服」は「立て看板」だった。「眼鏡の女」は頭だけの存在で、柱の陰から顔を出しているのではなく、柱のこちら側に頭だけ浮いていた。柱の前に髪の毛が写っていたので、これが分かった。