日刊早坂ノボル新聞

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◎女の幽霊を背負っていた

令和四年八月八日撮影

◎女の幽霊を背負っていた

 こういう表題の付け方は如何にも好事家的なので、あまり好きではない。だが、最近、あの世に関するデタラメな作り話がネット中心に流布される傾向が強いので、ソコソコ付き合うことにした。

 もちろん、耳目を集めることには興味がない。現時点で意図が伝わる人が五人くらいいるので、それを十人くらいにしようという程度だ。

 

 画像は八月八日にK神社で撮影したものだ。帰りしなに遠景で裏山の様子を撮影したので、日記には使わなかった。

 たまたま、本日それを開いたのだが、何だか違和感がある。

 ごく平坦な画像なのに、「何故ざわざわするのだろう?」と拡大してみると、本来、そこには無い筈の影が出ていた。

 階段を上がった門の下付近だが、ここには立て看板も生姜物も無い。それなのに影が出ている。

 よく見ると、どうやら「頭」のよう。女性の頭が床から七八十㌢くらいのところに浮かんでいる。その下の部分については、少し考えさせられたのだが、「スカートを穿いた二本の脚」ではないかと思う。これは遠景なので確証はない。
 (全体も人型のシルエットになっているが、子どもの体型だ。)

 

 だが、この日はちょっとした異変があったので、それと付き合わせてみると、色々と符合する点がある。

 ちなみに、異変とは「体のかたちの歪み」だ。この神社のガラス戸に姿を映すと、私の腕が異様に膨むことがある。これは毎年起きるので、画像が沢山ある。

 このことについては「恐らく腕の前に光の進行を歪めるものがある」と思っていた。

 実際、参道の左側から神殿の左をを通る「(霊の)通り道」のようなものがあるようで、人影などが最もよく映る場所だ。その流れの中に立つと、画像に様々な異変が起きる。

 

 さて、私の画像を抽出して並べたのが①~④の四枚の画像だ。

 どうにも解せなかったのが最初の画像①で、ガラスの継ぎ目で左右に二重映りしている構図なので、同じ右手が映っている筈だが、手の先の向きが明らかに異なる。

 内側の右腕に至っては、私の体の後ろから脇の下を回しているような構図になっている。腕自体も女性的だ。

 ②③④はそれが変化して行く状況を示す。殆どの人が見えぬだろうが、②は「黒玉」が私の前にある。「黒玉」は「煙玉」のバージョンのひとつだが、「煙玉」が白いのに対し、「黒玉」は黒いか半透明になっている。

 「煙玉」のことを、神秘主義者は「オーブ」と呼んだりするが、これ自体は霊的現象でも何でもなく自然現象だ。ただ、時々、霊的現象にともなって生じることもあるから、付帯的現象として現れることはあるかもしれぬ。

 一方、「黒玉」の方は、多くの場合、「霊そのもの」であることが殆どのようだ。

 ①では私の胸というより上半身に重なっているので、私の服の模様が消失している。

 二枚目以降、これが私から離れて行くのだが、その動きに従って、黒玉の後ろにあるであろう私の腕のかたちが変化している。

 四枚目でようやく黒玉が離れ、両腕とも殆ど正常な状態に戻っている。

 

 そして、この後で、帰り際に撮影したのが、冒頭の画像だった。

 「女」がその場に留まっているところを見ると、どうやら「私に付いて来たが、この境内の霊気の流れに触れ、ここで降りた」と見るのが妥当な線だと思う。

 幾日か前より、「誰かが近くにいる」という感触があったので、ここは「務めをひとつ果たした」ということか。

 長く乗られたままだと、マイナスの影響が増えて来るので、時々は肩から降りて貰うのが望ましい。

 亡者から見ると、私はフラグのひとつなので、外出すればその度にひとつ二つは付いて来ると思う。

 これは特別なことではなく、ごく日常的に起きている。

 そして私だけでなく、誰の身にも起きている。

 自意識がいいつも自分のものだと思ったら大間違いで、まったく別の者の感情を受け、それに影響されながら暮らしているのが実情だ。

 

 こういうのは、「あの世」のことを正しく知り、正しい対処の仕方をすれば、何ひとつ悪影響が生じない。それどころか、私のように本来死んでいるべき時期が来ても、期間延長が可能になる場合もある。

 「あの世」をとかく「怖ろしいもの」として語る者は、霊能者、霊媒でも何でもなくただのクズだ。「怖れ」こそが、悪縁(悪霊)がひとの心を支配する糸口になる。

誤謬を垂れ流す者には、いずれ死に間際に特別な訪問者が訪れる。

 霊能者・霊媒の多くが、果たしてどういう末路に至ったか。

 能力者を自称し、専ら恐怖を蒔くだけの者はそれを承知しているのかどうか。

 

 追記)冒頭の画像の右に眼を向けると、二人の女性の影が出ている。

 これがたまたまそこにいた人でないのは、「サイズが生身の人間のそれではない(背丈が数十センチ)」と、位置的に「空中に浮いている」ことだ。

 ま、この遠景だと、もちろん、見間違いということもあるかもしれぬ。

 

追記2)先月、神奈川に行った時の帰路、車の後部座席にまともに「女」が乗っていた。後部座席と言うより、私の顔のすぐ左後ろだ。すぐに鈴を鳴らし、平静を保ったが、それ以後、ずっと連れ歩いていたようだ。
今回、私から下りてくれたのなら助かる。これで若い女性の使う香水の匂いがようやく消える。女性は三十台の半ばくらい、厚木インターの近くを通った時に、この女に見つかった。
私はよく幽霊の側に見付けられてしまうのだが、やはり心停止の経験があり、その時から「死者と繋がる部分がある」からだと思う。