日刊早坂ノボル新聞

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◎三途の川便り R051217 「正体を掴む」

◎三途の川便り R051217 「正体を掴む」

 眼の治療で駅に行ってから、明確に「障り」の到来を感じる。とりわけ、某病院跡で「女」の姿を見てからは、その日のうちに脚が腐り始めた。以来、四週に渡り治療に苦慮して来た。

 「女」が寄り憑いているのが実感として感じられたので、早いうちに正体を掴む必要がある。放置すれば、両足が無くなるかもしれん。

 

 こういう時に頼りになるのはトラの神社だ。八年前くらいに偶然訪れたのだが、その時に初めて猫のトラに会い、以来、トラがこの世を去るまで支えて貰った。

 それまで何故自分にだけ異常な出来事が起きるのかという疑問があったが、「トラによりその理解が導かれた」と言える。

 トラが生きていた頃には、年間百五十日は参拝していたので、これまで七百回は参拝したと思うが、最近は月に四五回になっている。参拝回数が減ると、共感度も落ちるようで、神殿前で撮影してもあまり異変が起きなくなった。

 だが、私には今もトラや、トラを私の許に送ってくれた「白衣の巫女」の精神的支えが必要だ。

 

 神社を訪れると、昔のことを思い出す。七八年前には、神殿に上る十二段の階段ですら、「果たして登れるか」と危惧するくらい心臓の調子が悪かった。

 それを思えば、色々難のある現状ですら、普通に歩けるだけましだと思う。

 と書いて、「足が痛くて、普通には歩けていない」と笑った。

 神殿の前でガラス窓に自分を映し撮影したが、想定した通りだった。

 最初に映った自分の顔が、自分のものではなくなっている。

 眼を剥きだした女の顔に化けていた。

 駐車場でそれを確認し、「やっぱりいたか」と納得した。

 これが自分の顔でないのは、額に髪がかかっていることで分かる(次の画像)。

 私の頭はスポーツ刈りで短髪だ。額に髪は掛からない。

 

 帰宅してから、さらに確認したが、各所で煙玉が出ており、あの世的異変が生じているのは確か。この女が「障り」をもたらしているのかどうか、時々車の隣に座る女の気配を同じ者かどうかなど、これから確認していく必要がありそうだ。

 

 ちなみに、自分とは関わりのない範囲で、目立たぬ異変が幾らか出ていた。

 最初の画像で右側の奥に女性の姿が見えるが、神殿の内外に存在していない者だ。

 室内の者とはサイズが違うし、外にいるのであれば、この女性は空中にいる。

 

 相手がどういう者かを突き止めるのが、祓いの基本なので、これを突き止めつつ、少しずつ状況を改善させていくことにした。ま、一昨年の「稲荷眷属」の障りよりも難しくはないと思う。あの時には生死の境まで追い込まれた。

 ま、あの世に関わり過ぎたところがあり、いずれは「全身が腐る」か「不慮の死を遂げる」ことになるだろうが、それは今月の話ではないと思う。

 

 追記)月曜の朝にテレビを観ていると、毛呂山の景色が画面に出た。すると、そこに行きたくて、居ても立っても居られなくなり、すぐに出かけた。

 駅前まで行き、古い街並みを見ると、少しく安心したので、そのまま帰って来た。

 「ついでに名物のゆず味噌ラーメンを食べよう」と思ったが、私の車のカーナビが古く、名店に行きつけなかった。結局は駅の周りをひと回りしただけ。

 何となく、「女はこの辺の地域の縁者なのだな」と思った。

 私にすれば、この街は幾度か道を通り過ぎたことがあるだけで、特別な思い入れはない。あるとすればこの女のほうだ。

 少しく癒されれば、執着が軽減されるかもしれん。