日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎浜に魚が上がる

浜に魚が上がる
 明治三十年の三陸津波の時には、数か月前から「魚が浜に寄せる」という出来事が起きていた。
 ひと月前には、大船渡湾に海豚が大量に寄せて来たので、これを捕まえ、味噌漬けにして各地に売った。その時には「売り上げの代金が部屋の中央に山になるほど」だったそうだ。
 そしたら、その後で津波が来た。
 要は、海底での地殻変動の異変を魚が感じ取り、異常行動を示していた、ということだ。

 東日本の震災の時にも、数か月前に「漁港にマグロが寄せた」ニュースが流れた。どこだったかは忘れたが、複数個所で、それには気仙沼も含まれていたのではなかったか(忘れた)。
 この時は、たまたま明治三陸津波のことを調べていたこともあり、「浜に魚が寄せた」ニュースを気に留めていたが、まさか実際に地震が起き津波が来るとは思わなかった。
 「何だか昔と似ているなあ」と思ってはいたから、変人と思われても「あぶねえぞ」と叫ぶべきだったかもしれん。もちろん、研究していたわけでもなく、そこまでの確信は無かった。

 明治の時は津波の高さが三十㍍で、夜中に来たのだが、「黒い壁のよう」だったと記録に残っている。夜だから、水際がざざっと沖に引いて行くのが見えなかった。これが見えていれば、「すぐに津波が来る」と分かり、多くの人が逃げられた。
 津波の高さ自体は平成東日本でもほぼ同じくらいだった。

 このところ、また「浜に鰯が寄せた」ニュースが続いているが、概ね太平洋側だ。まだ鰯だから近海魚の範囲で、気候や海流の状況の変化により、普通に起きる性質のものと変わりない。
 これが沖にいる中型魚や鯨類に及んだら、「二十四・二十五年の津波説」の信ぴょう性が高くなって来る。
 リスクについては、備えていて損はない。実際に来なければ、それでよいし、来た時にはそこそこ対応出来る。無防備なら、為す術も無いから、ある程度想定して置くべきだと思う。

 2005年ごろから明治三陸の話を書くつもりで、幾度も大船渡に通っていたが、あの震災と津波が起きてしまい、結局書けなくなった。何年かの調査内容も津波と共に流された。