日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎奉納銭

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◎奉納銭
 天保の飢饉の後に、八戸領では、鉄銭の密鋳が行われるようになりますが、その密鋳銭座で作成されたもので、神社奉納用の枝銭です。
 銭として作る場合は、ひと枝で数百枚を作りますが、これは少数枚で、かつかたちが整っています。
 砂鉄を溶かし、溶鉄が流れ出たおんをそのまま型に受けた模様で、「づく鉄」製となり、それで要するに密鋳銭座のものと推定出来るわけです。

 三陸沿岸の神社の梁に打ち付けられていた品らしいのですが、前蔵主は「誰それという人がその神社から貰って来たという話だ」と言っていました。
 「貰って来た」という表現が微妙ですが、実際に貰ったのかもしれませんし、黙って貰って来た可能性もありそうです。
 しかしそれも百年は前の話で、確かめようがありません。

 盛岡藩の北部や八戸藩領では、天保以降の飢饉の被害が酷く、餓死する者が多数出ました。
 このため、当時は死罪とされた贋金作りに手を染めたのですが、そのせいで、餓死を免れることが出来たのです。
 大量に密鋳を行ったので、幕末明治初年頃には、鉄銭の交換相場は、「鉄六文で銅一文」、「鉄八文で銅一文」の交換比率になりました。 
 命を懸けての密鋳で、覚悟が必要だったので、無事を祈願したわけです。

 明治以後のものではなく、天保から弘化、嘉永くらいまでのものと推定されます。
 歴史の証人のひとつと言えます。

 なお、骨董相場では、完品であれば十万円からなのですが、枝葉1枚に欠損があります。「ひとつ欠けると2万円減」と聞いていますので、8万円くらいからとなります。