日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎三陸自動車道経由で東京方面に行くと

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三陸自動車道経由で東京方面に行くと
 盛岡の病院でオヤジ看護師に言われたのです。
 「今度、釜石道と三陸道が繋がった。復興道路だし仙台までタダで行けます。仙台からは常磐道東北道で行けばよいから、高速料金が2/3で済むようになりますよ」
 実家から東京までは530キロで、うち仙台まで180キロあります。ちょうど1/3ですね。
 頭と机だけの話で終わらせるのではなく、事実かどうかを確かめるのは重要なこと。そこで、実際に行ってみました。
 花巻まで一般道で行くかどうか迷ったのですが、そうでなくとも距離が長いので、高速を使いました。

 釜石道から大船渡までは、さすがかなりの時間短縮になっています。1時間強で大船渡に着いてしまいます。
 そのまま通過しようかと思ったのですが、何となく大船渡に下りました。
 県道沿いに産直やら魚屋があったので、焼きウニでも買って帰ろうと思ったのです。
 しかし、海岸沿いはまだ工事の真っ最中です。
 記憶を辿って、南下したのですが、産直がありません。
 よく考えたら、海の傍の販売店が残っているはずがありませんでした。この辺、十年以上前と記憶が錯綜しています。

 大船渡を通過して、陸前高田に向かう途中、何故かは分かりませんが、涙が出て来ました。
 気付いたら、ぽろぽろと涙を流していたのです。
 「ありゃりゃ。なんでだろ」
 自分が泣いていることに気付いた後は、もはや号泣です。
 この時、すれ違った車の人は、「いいオヤジジイ」が号泣しながら運転しているので、異様に思ったことでしょう(苦笑)。
 タオルで涙を拭いながら運転するのですが、しかし、泣く理由が思い当たりません。
 理由がまったく思い当たらないのに、泣いていたのです。

 暫くして、ふと気付きました。
 「ああそうか。そろそろ目が覚める頃だ」
 不慮の事故で亡くなると、十年間くらい眠っているのですが、その後、自我が目覚めます。
 少し早めですが、そろそろそういう時期が来ているのでしょう。
 亡くなった方の心中にあるのは、ほとんどが「驚愕」です。
 あれよあれよと言う間に流されたので、事態を把握する間もなく亡くなった。
 今は「苦しい」も「痛い」もなく、ただ驚き、当惑しているのです。
 「今、自分はどこにいるのか」「なんでこうなったのか」
 一切、分かりません。
 
 その意味では、今年、来年のご供養が非常に重要で、親族を亡くされた方は現地を訪れ、慰める必要があります。
 心の中だけで念じても相手には伝わらないので、声に出して語り掛ける必要があります。
 これは生きている者同士のやり取りと同じです。
 身近な人が語りかけることで、亡くなった方々が感じている驚きや不安、恐怖を鎮められます。

 そういうことに気付いたので、すぐに車を停め、海に向かってご供養しました。
 過去の事例からみて、先方からは私が見える筈なので、「行き場が分からないのであれば連れて行ってあげます」と伝えました。
 これでざわざわ感が無くなったので、再び出発しました。

 そこから仙台までは、やはり大幅な時間短縮がなされていました。交通は確実に便利になっていますね。人の移動や物流には、大きく寄与すると思います。
 ただ、私は「患者」なので、三陸道は片側1車線のせいか、少し運転に疲れます。前後の車への配慮が必要になるせいではないかと思います。
 仙台では常磐道で行くか、東北道に戻るか思案しましたが、やはり東北道にしました。
 この辺で疲れが出て来たので、SAで仮眠を取りました。
 家に着いたのは、やはり朝方で、シャワーを浴び、そのまま病院に向かいました。病院で寝て、帰宅して寝てで、ほとんど1日寝ていました。
 「俺の体じゃあ、もはやしんどくなってら」
 この先、同じことは出来ないことを痛感しました。
 ま、いつも通り、途中で1泊2泊が必要ですねえ。

 さて、釜石道から三陸道を通って東京に向かうとどうなるか。
 その答は「大して変わらない」です。
 高速料金は安くなりますが、その分ガソリン代が増えます。
 なにせ2百キロくらい余分に走ります。
 高速代、ガス代を含めると、千円も違いません。
 やはり頭で考えるイメージとは少し違うようです。

 今日は私が普段通っているお寺と神社に行き、ご供養をします。こういうのは自分の務めのひとつだろうと思います。

 行った先々の画像は追って追加します。
 何故かカードリーダーが見当たりません。