◎谷を脱したか(629)
どうやら体調の谷底を脱したような気がするので、この日は外出し、いつもの神社に参拝することにした。
朝から暖かく、心臓の持病持ちでも割と動ける環境だ。
境内に入ってからは、ひたすらお礼の言葉を唱えた。
「六年前、私は歩くのもままならぬ状態でしたが、ここで猫のトラに会い、その猫に励まされて生き延びることが出来ています。あの猫を差し向けて下さり、どうも有難うございました」
トラはこの世を去ったが、私は生き残っている。途中、四年間は二人三脚だった。
「トラには『オレ輪ピック』の銅メダルを贈呈しないとな」
ちなみに、金メダルは家人で、銀が母だ。トラは人生で三番目に重要な位置を占める。
神殿前で少しく撮影したが、景色の歪みが少ないので、大きな異変は出ない。
最近、ほとんど異変が起きなくなって来たが、普通に暮らせるのは本当に助かる。
ガラスに映る建物のシェイプを見れば一目瞭然だが、屋根がいつもキントウンみたいに歪んでいたのが、今は普通に映っている。
もちろん、今では目視は必要ない。
若い女性の肩にはお婆さん、私の後ろにも女がいる。
二枚目では、背後に複数が蠢く。見ているのではなく、その場に立っている時にそう思ったのだ。
「かたち」はもうほとんど必要がなくなった。
自分自身や身近な人の厄払いならそれほど難しくない。それで充分。
「あの世予備校」はそろそろ卒業させて貰えそうだ。
ところで、いつも思うが、セージの匂いは強力だ。(最近、補充した。)
セージを燻すと家じゅうがコイツの匂いになる。
千年以上前から「厄除け」に使われて来たが、実際、その効用もあるようだ。
さて、この機を境に人事に復帰しよう。
この三月を乗り切れれば、まだ私にもその先が開ける。
画像自体は「気のせい」の範囲。自分自身を守るために研いでいるので、他者の理解は必要が無い。「それが何か」ではなく、「防御が必要かどうか」ということ。
今日は警戒が不要らしい。
こういうのは目ではなく、背中で眺めている。