◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭箱より(1)」
収集生活を終えるにあたり、整理整頓を進めているが、雑銭箱に次第に移って来た。
とはいえ、色んな箱に入った品をひとつにまとめる程度だ。
先日、Oコインのオバサンがバリ銭から和同を拾った件について記したが、あれを思い出し、きちんと目を通そうかと思ったのだが、やはりそんな時間的余裕はない。
そもそも、中国銭混じりの雑銭はほとんど見なかった。
ま、オバサンに敬意を表し、ひと握りずつは目を通すことにした。
さっと目についた品について、少々コメントを入れる。
01~04 永楽通宝の変化
明銭の永楽通宝は大陸および本邦でさかんに鋳写しされた。
銭径の大小があり中間段階の品が揃っている上に、銭容が見る見るうちに見すぼらしくなっているところを見ると、通用銭をろくに手入れせずにそのまま鋳写しを繰り返したようだ。
末鋳に近づくと、銭として「同じ一文と認めろ」と求めるのは難しかったろう。
差銭にしてごまかすという一手だったか。
この辺は日本の幕末密鋳銭とは趣が違う。
05筑前洪武は割と雑銭から拾える銭種だが、今回、たまたま06慶長通寶が残っていた。これまでまったく見ていなかったと見える。小さい話だが、まだ幾らかツキがあるようだ。
慶長通寶は銭文の「吉語」としての意味が素晴らしく良く、また書体も力強い。
和銭の代表格で、常に人気があるのも当然だと思う。
おまけに07宝珠もすぐ傍にあった。指の感触としては和銭で、となると江戸物の可能性が高い。明治後期・大正初めにも絵銭が多数作られた時期があったようだが、左右に宝珠のみを配置した品はあまり見かけない。
江戸期の絵銭譜に掲載があったことは記憶している。江戸時代に絵銭について関心を持っていたのは主に関西で、大阪の銭譜には絵銭が沢山掲載されている。
08文政小字、09安政小字、10密鋳小字写の金色の違い
肉眼で見ると、殆ど違いはないのだが、カメラで撮影すると色合いが違って見える。
09安政は割と色の変化が生じておらず、普段見慣れた同型品の古色とは印象が異なる。密鋳銭は、文政色に赤いので差銭では分かりにくいが、そういう時には輪側を拡大して見れば区別出来る。
密鋳銭に集中する者は、ほぼ「最初に輪側を見る」と思う。外見が文政に似た品が割とある上に、従前はあまり関心を持たれていなかったので、コイン店を回り雑銭を検分すると、大概、一二枚ほど拾えた。使用した装置が決定的に異なるので、本座銭と区別するには輪側の線状痕だけ見ればよい。
11島田木札
島田通用木札は割と知られているが、この宿の周辺では、このような代用札文化が存在していたようだ。左の南村は島田宿の隣にあるが、木札が各種証文や切手に使用されている。ところにより習慣は変わる。
木札だから贋作が作れそうだが、案外この手のは少ないようだ。そもそも数千円の安価な品であることと、今はそれほどコレクターのすそ野が広がっていないことによる。
例えば、銭札は古貨幣のジャンルのうちだが、為替になると境界線に重なる。島田木札は便宜的な代用貨なのだろうが(実態は知らぬ)、これも境界線上だ。
12一文八戸背足写し
背足は本銭でも銭径に様々な違いがあり、見すぼらしい。
この「見すぼらしさ」が嫌われたのか、八戸地方での背足写しはあまり多くない。
通用銭改造母なども、殆ど発見例が無いのではないか。
この品はさらに見すぼらしく、目寛見寛座の通用鉄銭のサイズと大して変わらない。
ところで、自室の中で、地方貨の唐銭通寶と、中国の試鋳銭、鍔銭十五枚その他を紛失しており、どこかにあると思うのだが、この手の雑銭がまだ数万枚あり、さすがに見てはいられない。
いずれ誰かにさし上げるか、寄付すると思うが、思わぬ拾い物をする人が出るかもしれぬ。それはそれでよし。そういうのもツキのうち。
盗まれた品も多いが、そちらにはそのうち天罰を与えるつもりでいる。
今日は割合調子がよく、外出したりしたので、さすがに疲れた。