◎古貨幣迷宮事件簿 「南部写しだった」
現在、古貨幣を手に取っている暇はまったく無し。
これもコロナの影響だ。
さて、この大字の密鋳写しのことは、既に幾度か書いた。
「みちのく大会」で某若手骨董商のS君から売れ残りを入手した時に、文久様と一緒に見つけたこと、製作が文久様にそっくりだが、地金が白くないこと、等である。
その後、机に放置して、半年以上経ったが、空気に晒していると、このわずかな期間でも古色変化が生じる。
結果、表面色は次第に赤くなって来た。
何のことは無く、「南部写し」である。
過去に、真っ赤な大字の南部写しが出品されたのを見たことがあるが、その時は20万円という値がついていた。それだけ、希少性が高いということだが、実際、十万枚の桁で撰銭をしたと思うが、大字の写しを雑銭から拾ったのは、僅か一度である。
文政なら大字は割と見つかるが、密鋳銭ではまず難しい。
状態が良ければ、この品もいずれ「化ける」と思うが、もはや「希少銭を持つ」ことに興奮を覚えたりはしなくなった。
これが「文政大字」と変わらないと思う人は、撰銭をしてこなかった人になる。
ま、密鋳銭はご当地の者にとっては、血が沸き滾るほど面白いが、関りの無い者にとっては、ただの見すぼらしいボーチュウ銭に過ぎない。
例えを上げれば、寛永銭譜には「密鋳背千」は一枚しか掲載されないことが多いわけだが、もし「分類手法」を繰り出せば、あっという間に何百種にもなる。
ただ、密鋳銭のジャンルでは、形態分類をやり過ぎると頭がこんがらがる。
どこの誰が、どうやって作ったかが、皆目分からぬことの方が多いからである。
まずは「座銭」かどうか(組織的かどうかの意)が大切で、組織的なものであれば、仕組みや工程を重点的に明らかにしてゆくべきだろう。分類は机上で出来るが、銭座を探すのは、体力のあるうちの話だ。
何を優先すべきかは自明の理だ。
密鋳銭の場合、元の銭の特徴が弱くなるきらいがあるので、往々にして銭種の判断に困ることがある。砂抜けが悪かったりするから尚更である。
この品も、チラ見段階では正字か小字と思っていた。
割と分かりよいのは、寛字の後足の跳ねが長いことと、永字の頭が鋭く伏していることである。
金質は「当初は黄色だが、次第に赤く変じる」ようだ。これは山内銭と同じなのだが、こじつける必要はなく「南部写し」という解釈でよい。
銭径が27ミリを切っているので、縮小幅は割と大きい。
型づくりや湯温の調節など、あまり上手には行かなかったようだ。
輪側は不規則な線条痕(鑢痕)で、いかにも密鋳銭の仕様である。
同時に拾った「文久様」と作り手が同じなのではないかと思っていたが、金味が違うようだ。ただ、製作手法自体はよく似ている。
入札やオークションで希少銭を入手しても、それは「金の力」によるものと言えるが、撰銭で拾うには、また違った「銭運」が必要になる。
「雑銭から拾った」と隣に「文久様」を並べたいところだが、既にそちらは入札に出品してしまった。
ところで、かなり前に「鐚か南部か不明」とした天命通宝だが、これも「南部写し」で良さそう。輪側がランダムな斜め鑢で、幕末のものだろう。
幾らか紫褐色気味だが、八戸領にかかる可能性がある。
いずれにせよ、天命を「絵銭として製作した」南部写しは、これまで見たことが無い。