日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎腕が膨れる (一年前の振り返り)

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令和元年七月二十九日撮影

◎腕が膨れる (一年前の振り返り)

 五月中途から七月までは、「あの世」関係の異変はほとんど起きない。

 元が人間の知覚波長域の内外を出入りしているものだから、湿度などの影響が生じるのかもしれぬ。

 昨年の同時期は、ほとんど断片的なものばかりで、「気のせい」が6、7割を占めている。

 「声」は画像には残らないし、時間の経過と主に消失してしまう。

 

 掲示の画像は昨年の七月末に撮影したものだ。

 人気の無い境内に入り、まず自分自身が映るガラスを撮影したのだが、右腕が異様に膨れていた。

 この時は、確かファインダを覗いた段階で異変に気付いたと思う。

 帰宅後、画像を拡大してみると、肘の先が猫の頭のようになっていた。

 画像を加工することで同じものが作れると思うが、私の場合はそういう行為に何の意味もない。総て、自身の「死後のため」の知見を得ようとして考究することなので、他の人がどう見ようが、どう見えようが、どうでもよい。

 友だちが欲しいわけでもないので、分かったようなことを言われると、逆に腹が立つ。コテコテの悪霊を渡したくなってしまうのだ。

 ま、自称「霊感の強い人」や、自称「霊能者」には、こっそりと渡すつもりではいる。

 私の方は、毎日を凌ぐのに必死なのだが、「能力」なるものを持つ者なら、きっと上手に切り抜けられると思う。

 後ろに立たれたり、声を掛けられたりするのは「ごく普通の日常」なので、それを経験して初めて「分かった」と言える。

 (どうやら今日は虫の居所が悪いようだ。)

 

 続けて数枚ほど撮影したが、異変は収まっていた。

 かすかに人影のような気配もあるのだが、さすがこの時期は明瞭にはならない。

 

 あの猫のような顔がトラであってくれると良いのだが。

 最近は、トラが「近くにいる」気配をほとんど感じなくなった。

 死者は死者の辿る道を進むべきだから、それで良いのだが、真の仲間を失った今はさすがに寂しい。

 

 ところで、今は「薬抜き」を実践しているが、体にぎくしゃくした感覚がある。

 変化の過程にあり、バランスが崩れているのだろう。

 我ながら、「かなり怒りっぽくなっている」ことが分かる。なるべく人と会わぬように、人と交流しないように心掛ける必要がある。

 腹を立てていると、普段は絶対に言わぬことまで、言ったり書いたりする。