日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎「しばらくの間は薬を服用せぬこと」(506)

f:id:seiichiconan:20200603174526j:plain
f:id:seiichiconan:20200603174512j:plain
f:id:seiichiconan:20200603174501j:plain
f:id:seiichiconan:20200603174445j:plain
f:id:seiichiconan:20200603174425j:plain
令和二年六月三日撮影

◎「しばらくの間は薬を服用せぬこと」(506)

 三か月も散髪をせず、髪が伸び放題だ。と言っても頭頂部はそのままでサイドだけ伸びるから、とっくの昔に「落ち武者」の状態になっている。

 「いい加減に床屋に行かねばならんな」

 と言っても、コロナのことがあり、迂闊に振舞うと一発で感染してしまう。

 重い持病のある障害者などは、感染した時点で即座にアウトになる。

 そこでネットで所在地を引きつつ思案した。

 結局、格安カットではなく、昔風の床屋に「朝一番で」行くことにした。

 紫外線殺菌器から出したばかりの鋏を使って貰えば、リスクが幾らか減る。

 それとカットと洗髪だ。洗髪すれば、そのまま帰るよりはまし。

 

 ついでだがネットで検索して気が付いたことがある。 

 店の所在地当の情報に加えて、評価コメントが書き込まれているのだが、こういうのは「全然あてにならない」ことだ。何故なら、別の店なのに、よその店で見たのと同じコメントが記載されている。

 理由は簡単だ。商売敵が客を横取りすべく悪口を書き込んでいるわけだ。チェーン店同士で相手の足を引っ張るために書き込むのだが、店が多いとどうしても似たコメントになる。

 逆に、誉め言葉は「身内で書く」から、こちらも当てにはならない。

 ま、私は「昔気質の床屋」を目指すから、そういうのは関係ない。しかも駅から1キロは離れた住宅地の中の店に行けば、地元客中心の商いになっている筈だ。

 

 選んだ店は、まさにその条件にピッタリだったが、駐車場がない。そこで駅の駐車場に車を置き、そこから徒歩で向かうことになったのだが、それが今の私にはかなりキツい。

 体調がイマイチ、と言うより、三も四も悪いので、数百㍍歩いただけで汗が滝のように流れた。

 何とか散髪は済ませたが、帰路は大変だった。シャツもズボンもぐしょぐしょに汗で濡れていた。

 ちなみに、店は想定した通りの昔気質の床屋だった。店の親仁も口数が少なく、サクサク仕事を済ませたので、二十分も掛からず終わった。カット&シャンプーで二千円なら、次も格安カットではなくこっちに来ようと思った。

 

 汗をどっぷり掻いたので、少し車で涼んだが、ここで思い出したことがある。

 「知人のために神社で祈願しようと決めていたな」

 そこで、すぐに帰宅せず、いつもの神社に向かうことにした。

 

 平日の午前中で、境内には人が少ない。当初は前後五十㍍に一人も人が見えぬほどだった。後で女性が一人来たようだが、人とすれ違うことは無かった。

 神殿では、まず母のために祈った。

 「お袋は生前、子や孫のことを大切にし、十分過ぎるほど愛情を注いでくれた。もう死んだのだから、『あの世から見守る』なんてことはしなくてよい。安心して先に進んでくれ」

 家族に対する愛情を持ち過ぎると、死後はそれが執着心となり、自我が凝り固まったままになってしまう。そのまま時が経つと、次第に悪霊化するから、拘りを捨て、なるべく早い内に成仏(魂の寛解)した方がよいのだ。

 母には感謝の気持ちしか湧いて来ない。何も返せなかったが、その分は子らに注ぐことにしようと思う。

 

 知人二人のことは「酷く病気で苦しむことのないように」という祈願をした。

 ちなみに、その知人はまだ病気をしていないのだが、程なく、命に関わる病気を体験すると思う。勝手な想像や妄想だから、もちろん、絶対に口にすることは無いのだが、これまでほとんど外れたことが無い。

 

 この日は自分のために来たのではなく、母や知人のために来たので、神殿の前ではいつものように撮影をしなかった。前回の「位置確認」のことを思い出し、数枚撮っただけだ。

 すると、中の一枚にはガラス面に四角い窓が開いて、複数の人影が映っていた。

 この時期は不鮮明なことが多く、判別に苦労するのだが、幾つかははっきりと人の姿をしていることが分かる。

 この日は、境内に人がいないことを確認済みだったので、たまたまそこに居た人が写り込んだわけでは無い。

 一人の女(の幽霊)を拡大したが、到底この世の者とは思われぬ顔をしている。

 しかし、ま、夏季の画像は実証には程遠い。見慣れている者にしか判別出来まい。

 

 神殿に背を向けて帰ろうとすると、背後から声が響いた。

 「この後、暫くの間、薬を飲まぬことです」

 え。思わず後ろを振り返るが、もちろん、誰もいない。声はリアルに聞こえていたのだが、どうやら私の脳内にだけ響いたものらしい。

 車に戻り、念のため、直前の画像を開いてみると、白いブラウス(かワンピース)を着た女性の後ろ姿がうっすらと見える。

 「さっきの声はこの女の人の声か。御堂さまではないようだが、どういうことだろう」

 「白い服の女」は外に居た者だが、それがガラスには背中を向けて映っていた。

 そうなると、私がガラス面を向いていた時には、私の方を見ていたことになる。

 ホラー映画や小説なら、ここから「寒気がする展開」になるわけだが、そんなことは起きない。

 何故なら、この「白い服の女」は私サイドの者であることが歴然だからだ。

 

 この時、パアッと「今、自身が置かれている状況」が把握できた。

 「今朝、駅から床屋まで往復し、俺は大量の汗を流した。恐らくそれが原因で、今は体調が少し良くなっている」

 汗を流したことで、少し楽になったのだ。

 なるほど。ここで考えられることは薬害だ。

 私は毎日、二十個以上の薬を飲んでいる。今のように調子が悪い時には、さらに薬が何個か加わる。

 薬は基本的に効能と共に毒性も持つから、今は「薬の飲み過ぎ」の状態になっている可能性がある。

 

 「この後、暫くの間は薬を飲まぬことです」

 これまで様々な経験を積んで来たので、今はこういう助言を受け入れられるようになっている。

 「あの世」にいる味方は、けして手を出して助けたりはしてくれない。その意味では、「守護霊」などという者は存在しない。総て生きている者の願望が創り出したものだ。

 今生を「どう生きるか」はあくまで本人の意思に任されているのだ。

 だが、仲間のような存在がそれとなく示唆を与えてくれることもある。

あとは、その助言を「聞く耳」を持っているかどうかということに尽きる。

 

 要するに、今日得られたことは「まだ私は死なない」ということだ。

 それが何時まで続くのかは分からないが、また明日や明後日は訪れる。

 

 ちなみに、ほとんどの人はこの画像を見ても判別出来ない。今の季節はそういう季節だ。

 私が容易に判別出来るのは、「その場にいて、声を聞いている」という理由による。

 少しく時間が経過し、声が聞こえなくなれば、私にも見分けられなくなると思う。

 いつも書くが、人に「特別な霊能力」などと言うものは無く、眼で見て耳で聞いている。

 検知可能な波長域が違うだけで、第六感の基盤は「想像と妄想」に拠っている。

 当てにはならぬが、しかし、時として有用なことがある。