◎良いことを思いつく(571)
外出をすると、お寺か神社を回るのが日課になっている。
二十四日は聖天院にも参詣することにした。ここは隠れた桜の名所だ。
本殿の前から、街を見下ろすと、市内各所の桜を一望出来る。
ここでは、異変が何一つ起きないので、嫌いに時を過ごすことが出来る。
桜は六七分で、週末から次週には満開を迎える。
神社の方では、鳥居の下で「良いこと」を思いついた。
写真を撮影する時に、「何か写れ」とか「今日は写るな」と言うと、いずれの場合も何も写らない。「構える」と接点が遠ざかるようで、無意識だったり、別のことを考えていたりすると、ひょっこりと顔を出す。
それなら、何かその手のことを意識すれば、何も出ぬクリアな画像が増え、結果的に精神状態が安定する。
そうだ。それで行こう。
そこで参道を歩きながら、「俺は自分自身を撮影するけれど、俺の友だちなら顔を出すのを許す。他の者は出るなよな」と呟いた。
それから撮影したが、やはりほとんど何もない画像だった。
簡単な目安は、周囲の景色の「歪み」で、異変が起きる時には、殆どの場合、これが出る。その歪みが無いのだから、問題無し。
微かに「黒いひと」らしき影が出始めるところのような気がするが、しかし、仮に何が出ても、「自分の味方」だと見なすことが出来る。
「あの世の者」は割合「正直」で、心根を隠すことが出来ないから、その点は便利だ。
今後は必ず、これを祈念しようと思う。
それでも、これから六七月までの間は、一年の中で「何も異変が起きない」期間になる。
どんな祈願をしたかなど関係なく、単に「出難い季節」だということかもしれん。
ま、細かいことは気にするな。
「明日が来る」と信じられれば、希望も生まれようというものだ。