日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎良いことを思いつく(571)

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令和三年三月二十四日撮影

◎良いことを思いつく(571)

 外出をすると、お寺か神社を回るのが日課になっている。

 二十四日は聖天院にも参詣することにした。ここは隠れた桜の名所だ。

 本殿の前から、街を見下ろすと、市内各所の桜を一望出来る。

 ここでは、異変が何一つ起きないので、嫌いに時を過ごすことが出来る。

 桜は六七分で、週末から次週には満開を迎える。

 

 神社の方では、鳥居の下で「良いこと」を思いついた。

 写真を撮影する時に、「何か写れ」とか「今日は写るな」と言うと、いずれの場合も何も写らない。「構える」と接点が遠ざかるようで、無意識だったり、別のことを考えていたりすると、ひょっこりと顔を出す。

 それなら、何かその手のことを意識すれば、何も出ぬクリアな画像が増え、結果的に精神状態が安定する。

 そうだ。それで行こう。

 

 そこで参道を歩きながら、「俺は自分自身を撮影するけれど、俺の友だちなら顔を出すのを許す。他の者は出るなよな」と呟いた。

 それから撮影したが、やはりほとんど何もない画像だった。

 簡単な目安は、周囲の景色の「歪み」で、異変が起きる時には、殆どの場合、これが出る。その歪みが無いのだから、問題無し。

 

 微かに「黒いひと」らしき影が出始めるところのような気がするが、しかし、仮に何が出ても、「自分の味方」だと見なすことが出来る。

 「あの世の者」は割合「正直」で、心根を隠すことが出来ないから、その点は便利だ。

 今後は必ず、これを祈念しようと思う。

 

 それでも、これから六七月までの間は、一年の中で「何も異変が起きない」期間になる。

 どんな祈願をしたかなど関係なく、単に「出難い季節」だということかもしれん。

 ま、細かいことは気にするな。

 「明日が来る」と信じられれば、希望も生まれようというものだ。