日刊早坂ノボル新聞

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◎少しずつ謎が解ける

少しずつ謎が解ける

 二年くらい前に、埼玉西部を車で走行していたら、突然、「後部座席に人が座っている」気がした。

 バックミラーで後ろを見るが、別段、何も見えない。車に乗っていたのは私一人だから、当たり前だ。

 だが、「誰かが座っている」という気配が消えぬどころか、じとっと重くなって来る。

 車を停めて休憩したいところだが、寄せられるスペースがないし、夕方の道が混み合う時間帯で、双方向ともびゅーびゅー車が行き交っている最中だ。

 そのうち、ほんの少し「暗いもや」が見えたのだが、それが人型で、女性のシルエットだった。

 これが0.2~0.3秒くらいの間で、すぐにパッと消えた。

 しかし、この時から「女が乗っている」気配が確信に変わった。

 

 こういうのが最も嫌な状況だ。

 逃れる場が無く、うっかりすると事故ってしまう。

 「女」がいるのが後ろだから、完全に無防備な状態だ。

 手を掛けられたら嫌だし、ここで声でも出されたら、飛び上がってしまう。

 ホラー小説ならこんな風だろう。

 「どうか私と一緒に死んで。寂しいから」

 背後から首元に手が回る。

 

 数分後、ようやく路側スペースのあるところに出たので、そこに車を停めた。

 全部の窓を開け、「そこに乗っていられると困るから、出てくれないか」と丁寧に頼んだ。

 実は裏技がこれで、「いるような気がする」時には、「いると見なし、丁寧に話し掛ける」と、案外すぐにパッと無くなる。

 第三者が見ていれば、よほど変に思われるだろうが、実際に「女」がいてもいなくても、「消えてくれる」のであれば、他人目はどうでもよい。

 

 最近分かったのは、「なんだかそこに人がいるような気がする」という感覚は、「そこだけ空間(光)が曲がっている」という認識から来る、ということだ。

 画像に人影が出ている時、周囲の景色が尋常ではないほど歪むが、目視では分からない。しかし、画像ではぐねぐねと景色が歪んでいる。

 たぶん、可視域を外れた波長で変異が起きている。

 カメラは捕捉域が眼よりも少し広いから、その変化が画像に残る。

 人の眼では判別し難いが、しかし、そこにいるのは事実だ。かたちとして捉えていないが、視界には入っている。

 

 ここで家人の話を思い出す。

 家人が五歳くらいの頃、父親に公園に連れて行って貰ったことがあるそうだ。

 家人がベンチに座ろうとすると、父親に「そこは今、お婆さんが座っているから、座ってはいけない」と止められたそう。

 こういうのは、目視で姿かたちを見ているのではなく、「歪み」を捉えているのだろうと思う。

 それが「お婆さん」なのか「若い女」なのかは、きっと想像と経験で判断したことだ。

 

 後部座席に乗られた時は、ほんの少しの「もや」か「煙」のような状態だったのに、それが「三十歳の手前くらいの女」だというのは、瞬時に分かった。