◎良くなっている
1枚目は1月21日の同じ位置での画像ですが、この時は背後の人影が割りと鮮明に写っていました。
もちろん、その時、神殿前には誰もいません。
今回はかなり不鮮明になっており、「あの世」から少し遠ざかったのではないかと思います。
ま、まだ3月は十日あります。
かたちとしては見え難くなってきているのですが、状況は進行していると思います。
以前よりも「気配」を強く感じます。
家人の父親は、第六感の立った人だったようで、幼い頃に家人が公園で遊んでいると、時々、常人には分からないことを言われたそうです。
例えばこんな具合です。
家人がベンチに座ろうとすると、お父さんが「今、そこに座ってはいけない」と制止した。
もちろん、家人は「どうして?」と訊ねたそう。
お父さんは「今、そのこにはお婆さんが休んでいるから、それを妨げてはいけないんだよ」と言ったそう。
他の者にはまったく見えず、本人もかたちを見ているのではなかっただろうと思います。
ただ、気配があるのです。
咳払いや、衣擦れの音などは、はっきりと聞こえたかもしれません。
毎週のように、「けしてそこにはいないはずの人」を見ていると、次第に慣れてきて、姿が見えなくともそれと分かるようになるようです。
でも、ひとのかたちが無いと、他の人はまったく理解出来ない話です。
本当に第六感の立つ人が、そのことを隠して暮らしているのは、「言っても理解出来ない」からだろうと思います。
反対に、第六感など塵ほどもない自称「霊能者」は、ああだこうだと因果を語ります。
このまままったく何も出なくなれば、「普通に暮らせる」上に、「まだ先がある」ことを意味しますので、私はそれを切に望みます。
画像は1月のものと今回のもの。明らかに鮮明さが違います。
今回のは「気のせい」で片付けられそうで、ほとんど訴えてくるものがありません。
(こう書くと、「挑発」になる可能性があるので、「よく分からない」としておきます。挑発すると怒りをぶつけてくる場合があります。)
早く何も出なくなって欲しいものです。