日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎呼ばれる(477)

f:id:seiichiconan:20200207053125j:plain
f:id:seiichiconan:20200207053116j:plain
f:id:seiichiconan:20200207053106j:plain
2月6日撮影

◎呼ばれる(477)

 疑問が解決し、自分なりに納得したので、しばらくの間、お寺にも神社にも行かなかった。「何故」が解消されたので、差し迫った必要性を感じなくなったのだ。

 昨年は体の具合が悪く、神社猫のトラを心の支えにしていたが、今年は体調がかなりましになり、暮らしの中で苦痛を感じることが少ない。

 ま、そのトラも今はいないから、いい加減に「トラ離れ」をする必要がある。

 

 今朝方の夢では、当方は神社の境内に立っていた。

 神殿の方角には白煙(か霧)が立ち込めている。

 その煙に近づくと、中にはもやもやと人の姿があった。

 当方の存在を悟ったのか、その中の一人が声を掛けて来た。

 「ここまで来ることは来たが、この後どうすればよいのか俺には分からん」

 なるほど。生前の習慣で神社に参拝したが、そこで止まっている。

 当方が時々ここで目にするのは概ねそういう者たちだ。

 「よし。分かった。行ってやろう」

 

 この日は通院日で、いつも治療が終わると家で休むのだが、家に荷物を置くとすぐに神社に向かった。

 天気が良い割には風が強く、実際の気温よりも体感的にかなり寒く感じる。

 参拝客は一人。普通は去るまで待つのだが、寒さは禁忌事項の最たるものだから、遠目から撮影した。

 心が晴れているので、「これは今日は問題なしだな」と思ったのだが、実際、さしたるものは出ていない。非常によい傾向だ。

 「あの世」から遠ざかり、何も感じなくなることは、すなわち「死」から遠ざかっているという意味でもある。

 

 ま、もちろん、ゼロにはならないわけだが、不鮮明で自己主張も少ない。

 日常の景色の中に溶け込んでおり、通常は気づかない程度だ。何百回も同じ場所で同じことをしていなければ、分からないくらいの異変になっている。

 要するに、メッセージの対象は当方一人ということで、すなわち「気のせい」「想像や妄想」と同じ意味になる。

 今朝方、当方を呼んだ者たちは、どうやら当方に気づかなかった模様。当方から「しるし」が出ていなかったのだろう。

 

 ところで、気が晴れているのは、務めがひとつ終わったからだ。

 病院で看護師の一人の後ろに、べったりと老婆がついているのを目視したので、お守りを渡し、ご供養の仕方を教えた。それ以後、その老婆のために、キャンデーを看護師に渡した。三か月掛ったが、ようやく背後の気配が無くなった。

 目に見えるかたちで変化が現れると、さすがに心が晴れる。もちろん、相手の方はもっと晴れている。

 何を考え、求めているかが直接分かれば良いのだが、生きた人間は「目で見て、耳で聞く」しかないから、想像するばかり。服の端々が焼けているし、いかにも喉が渇いていそうだから、「おそらく戦時中に亡くなったのだな」「お腹も空いているだろうな」と想像できる。キャンデーを渡したのはそういう理由だった。

 あの世の住人は、満たされている者には寄って来ない。

 昨年は魑魅魍魎や化け物、首の無い女が交互に当方の肩を掴んでいたが、今年はまったく見当たらない。

 

 境内では、ついトラの姿を探してしまう。

 「百回参拝するまで生きていること」を目標としていた時期もあるが、それが二百回、三百回と伸び、あと数か月後には五百回に達する。

 総ては一匹の猫が支えてくれたことだった。

 

追記)肩越しにカバンを下げた女性にとっては塩梅の良くない状況になる。

 後ろにべったりとへばりついている女は、駐車場から来る途中で拾ったものだ。

 このまま「お持ち帰り」してしまうと、気分がダダ下がりに下がると思う。

 ま、何かが起きてもその程度で、ホラー映画や小説みたいな展開には滅多にならないので念のため(ゼロではない)。

 運が良ければスーパーに寄り、人ごみの中で放せるかもしれんが、とかく神社やお寺では気を抜いたらダメだ。