日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎悪霊は心に寄り付く(396)

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◎悪霊は心に寄り付く(396)
 今日は生憎の雨。
 一日の予定を変更し、買い物を済ませた後で高麗神社に参拝しました。

 駐車場に車を入れ、鳥居に向かいます。
 「そう言えば、4年位前に、トラに神殿まで案内して貰った時もこんな感じの雨降りの日だったなあ」
 あの日、主治医から検査結果を告げられ、気落ちして、神社に向かったのでした。
 既に夕方で、境内は暗かったのですが、鳥居の下に猫が座っていました。
 まるで、私と家人を待っていたかのような佇まいです。
 猫(トラ)は私を見上げると、まるで「自分についてきて」と言わんばかりに、参道を先導し、奉納箱の前まで案内してくれたのでした。

 「あれから、随分と励ましてもらい、何とか今まで生きて来られた。総てがあのトラのおかげだな」
 最初の年には「せめて百回参拝するまで生きていよう」と思っていたのですが、4年後の今はほぼ4百回に届こうとしています。
 境内を進むと、どの場所にもトラと過ごした思い出があります。
 
 ここで、この半年のことを思い出してみました。
 11月頃に「程なく自分は死ぬのではないか」と思うようになったのですが、その通り、12月くらいからは寝たり起きたりの状態になりました。1月から3月は、机に20分も座れなかったほどです。
 3月になり、ほんの少し転機が来て、やはり神社の中で閃きを感じました。
 トラの周りにオレンジの煙玉が出たのはその頃です。

 体調の底が3月28日頃で、それががらっと替わったのが4月の半ば、14日頃です。
 べったりと張り付かれていた「着物の女」を御守刀で斬ったのですが、それ以後は激変しました。
 日一日と体調が良くなって行きます。
 トラの姿を見なくなったのもその頃です。
 「してみると、もしやトラが死んだのはその頃ではないのか」

 そうなると、考えられることは2つです。
 ひとつ目は、死期を予知したのは、自分自身の個戸ではなくトラのことだった、ということ。
 あのオレンジ色の煙玉は、他では見たことがありません。多くは白いか金色、虹色です。
 死期を示すものなのかも。
 ふたつ目は、トラが私の身代わりに死んだ、ということ。
 「お迎え」がまともに私の後ろに立っていたことを考えると、十分にありえますね。
 そう言えば、最後に会った時に、トラは私の体に爪を立ててしがみ付きました。
 まるで「別れを嫌がっている」かのようでした。

 「いずれにせよ、今生の別れが待っていたのなら、トラを家に連れ帰るべきだった」
 十日間くらい一緒に暮らし、看取ってやればよかった。
 後悔してもどうすることもできません。
 いいオヤジジイなのに、ポロポロと泣けて来ます。
 他に参拝客がいましたが、関係なく顔を歪めてしまいました。
 弱視で、いつもサングラスをしているのですが、こういう時は役に立ちます。
 神殿で拝礼をして、いつものように写真を撮り、境内を後にしました。 

 帰宅して、画像を確かめてみると、あんれまあ、いつになくゾロゾロと出ています。
 雨でしたので、赤外線撮影では写らないと思い、通常カメラのみ持参しましたが、不鮮明ながらあちこちに気配が出ています。
 しかも大半が悪霊です。

 「なるほど。トラのことを思い、悲しくなっていたから、その心の揺れに気づいた悪霊が寄って来たのかあ」
 悪霊が好きなのは、恨みや憎しみといった悪意や悲哀です。
 自分に似たものに寄り添うわけです。

 「しかも、俺が猫のことを考えていたものだから、猫の姿を真似しているヤツまでいやがる」
 しかし、動物霊などは存在せず、すべて、ひとの霊が化けたものだということを知っていますので、そんなのを取り込んだりはしませんね。
 そもそも、トラ以外の動物は全部ダメですね。動物の毛のアレルギーを持っているのです。

 「茅の輪」が飾られる頃に、トラがひょっこり戻って来てくれたら、どんなに嬉しいことか。
 「俺の第六感なんてデタラメじゃないか」
 そう思える日が来ることが、今一番の望みです。

 追記)
 どうやら、またも先方から「見つけられた」模様です。
 いつもいつもだとさすがにしんどいです。
 トラを失なったので、今は味方がまったく居らず、「一人二脚」で立ち向かう必要があります。