日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

家人に諭される

持病に加え、昨年からは眼疾で、仕事があまりはかどりません。
自作の編集や校正をしようにも、「雲の合間から」覗き見ているようでは、話になりません。
眼が不調だった時の版下を見ると、やはり訂正モレを散見できます。
「あ。これはあの時のだ」と日時まで特定できてしまいます。
やはりそれは、眼の具合が極端に悪く、ほとんど真っ白だった時の作業でした。

打ちのめされるのは、こういう時です。
「オレなんか、何ひとつとしてまともなことができない。これまで生きてきて、一体何の成果を残せたのか。いや、何ひとつとしてない。オレの人生に何の意味があったというのか」
そういう意味のことを、ブツブツとひとりごとにしていました。

すると、たまたますぐ近くに家人が来ており、その愚痴を耳にしました。
家人は夫のためにコーヒーを運んで来たのです。

「オトーサン」
振り返ると、真顔の家人が立っています。
「オトーサンは4人分の幸せを作った。子どもたち3人と、それからワタシ。オトーサンの人生には、大きな意味があったんだよ」

そうか。
ならもっと頑張らないとね。
「へこたれないこと」、「あきらめないこと」だけが、私が子どもたちにも見せてやれることです。

家人は最初の出会いから、こういう生き方・考え方でした。
今はただひたすら家人に感謝です。
(早坂ノボル的生活とノロケ話?でした。)