日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 33日目の参拝

イメージ 1

イメージ 2

まずはこのところの状況から。
先日、東北地方を車で南下して来ました。
その途中で、某県のS市付近を通りました。
これまで、この地の近くに来るのを避けてきましたが、道が真っ直ぐなのでつい「通ろうか」と思ってしまったのです。
しかし、この場所は私にとっては、やはり「近寄ってはならないところ」でした。

十年くらい前に、S市付近の高速道路を走行中に、なぜかカーナビに「降りろ」と指示されたことがあります。
運転に飽きていた時でしたので、「ついでにラーメンでも食べよう」と指示に従って降りました。
すると、カーナビが右折左折を繰り返したので、S市の中をぐるぐると回らされました。
「これじゃあ、らちがあかない」と、もう一度、関東方面へ目的地を設定し直したのですが、それでも通ったばかりの同じ道を何度も回りました。
その挙句、連れて行かれたのが、山の中のうら寂れた墓地でした。
墓地自体は静かなところですが、そこに私を行かせたのは性質の悪い悪霊だったらしく、その後3か月のうちに、真後ろから車がブレーキも掛けず追突するという事故に2度遭遇しました。
信号待ちで停止していると、後ろの車が走って来て、そのまま私の車に衝突したのです。
そういう事故が短期間のうちに2度もありました。
この時の経験は、その後何度も夢に観ますので、このブログの「夢の話」にも何度も書いています。

ところで、S市を初めて訪れたのは、私が大学生の時です。
運転免許の合宿教習を受けに行ったのです。
たぶん、その時から、悪縁のようなものが生じていたのだろうと思います。
ちなみに、いわゆる心霊スポットとは違います。
悪縁は「人を選ぶ」ので、何ともない人にとっては、別に普通の街です。

今回、久々に訪れたS市はほとんど変わっていませんでした。
S市の近くの国道には、10年前と同じラーメン店が今も変わらず営業していました。
夏休みの妻子を郷里に預け、独りで帰宅する時に、その異変が起きたんだっけな。
そんなことを考えながら、運転していると、久々ですがやはり違和感を覚えました。
「ここはやっぱりオレには不味いところだよな。来てはいけない感じがする」
そう思い、すぐに高速に上がり、まっすぐ帰宅しました。

早めに抜け出したつもりですが、今回もやはり悪縁を連れてきた感触があります。
この「お持ち帰り」の典型的な症状は、とにかくマイナス思考になること。
「今の体調では、来年まで生きてはいられないかもしれない」
「いずれ、起き上がれなくなる時が来る」
「寝たきりになったら、家族に大きな負担が掛かるだろう」
「動けなくなるくらいなら、自分で命を断ったほうがまし」
こういうように、頭の中に良くない考えが回り始めます。
まるで、自殺するのが当然とでも言わんばかりです。

おいおい。ちょっと待てよ。
もし病気が進行しており、余命わずかなら、別に慌てて死ななくとも、そのうち勝手に死ぬわけです。
そこを、ことさら「生きていても仕方がない」と吹き込むのは、まさに悪縁のなせる業です。
ここはあえて「悪霊」とは書きません。
霊的な現象は、世間で取り沙汰される怪談や、自称「霊感のある」人たちの言うこととはかなり違います。
(ま、話の展開的に、いわゆる怪談の延長戦上にあるような内容ですので、致し方ないところですが。)

そこで、外出した折に、バシャバシャと写真を撮ってみました。
私の場合、異常が生じるとすぐに写真に出てきます。
ここも世間で言われることとは違います。
撮った写真に何かが写ることもありますが、これはあまり多くありません。
心筋梗塞になる直前に、盛んに胸の位置に「煙玉」が写ったくらいです。

問題は、撮る瞬間のほうで、シャッターが下りるその瞬間に、ファインダの中に異常なものが見えます。
写った画像より、肉眼で確かめられる気配のほうが重要です。
いわゆる心霊写真は、「そこかしこにいるんだから写って当たり前」の現象で、影響がないことが大半です。
これに対し、現に動いている「そのもの」は、こちらに関わりたいと思っていることがあります。
あるいは、既にこちらのことを自分自身だと錯覚しているかもしれません。

ところで、今日はどうにも体がだるいので、温泉に行ったのです。
外に出た時に、風景の写真をバシャバシャと撮影しました。
昼なのになぜかフラッシュ光が出て、やはり想像通り、影が出ました。
(影と書きますが、これは結構はっきりと見えます。)

うへへ。女だ。
私はこの世のものならぬ女性には、かなり「もてる」ようで、頻繁に連れ帰ります。
毎日のように神社やお寺に出入りしているのは、実際のところこういう理由です。

温泉からの帰路は、高麗神社に寄り、33日目の参拝を済ませました。
ただし、神さまにも得手不得手があり、「悪縁落とし」に有効かどうかはその神さまによります。
とりあえず、本殿で手を合わせると、心が鎮まりました。
この数日は冷静にものを考えられない状態でしたので、改善はされている模様です。
しかし、もちろん、ちょっと神社やお寺で拝んだり、お祓いをしてもらったりしても、パッときれいになるわけではありません。
この世界も、そんなに甘くは無いですね。

作法通りに厄落としは済ませましたが、やはり応急処置です。
今月下旬に、再び東北地方を訪れますので、その時に完全にきれいにしようと思います。
早めに気づいたので良かったです。

画像は、今日の高麗神社の境内です。
百日詣も、ようやく三分の一に達しました。