日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

ひとの心を弄ぶな(フジテレビ「めちゃイケ」)

土曜の夕方。帰宅した時にたまたまテレビが点いていました。
(家族の誰も観ておらず、「点いていた」という表現になります。)

何気なく眺めると、出ていたのはエスパー伊東さん。
番組の主旨は、エスパー伊東さんを弄び、笑いものにしようというのがアリアリです。

エスパー伊東さんの芸風は、「超人的?なことを試みるが、やはりなかなか出来ない」ことを示すというものです。もう少しで出来そうだが、やはり出来ない。「何だよ。やはり出来ないのか」とあざけり笑われるのが芸風です。
世間の人より「一段低いスタンス」で笑われるという、昔で言う「川原乞食」のポジションを守っています。

昨今の芸人は、ちょっと売れると何を勘違いするのか、自分が「売れている」ことを誇ったり、年収を自慢したりして、観客よりも高みに立とうとします。その結果、芸人本来の立ち位置を見誤り、数年ももたずに消えてしまうわけです。
その辺、エスパー伊東さんの凄味は、「笑われ者」としての立ち位置を守り通しているところ。
そこは本当にスゴい。
一時期、エスパーさんは、主に「体を痛める」芸をやっていたことがありますが、その頃にたまたま間近で見たことがあります。
エスパーさんの背中たるや、まさに傷だらけで、「やはり難しいことをやっているんだな」と感じました。
一芸人として、こういう道も「アリ」だろうと思います。

同じような立ち位置の人は、「笑点」の山田隆夫さん。
ひたすら座布団を運んで、既に20年を超えているのでは。
軽く見られがちな役割で、「山田君」と呼ばれ続けながらも、自分の仕事を務め上げています。
尊敬しますね。

「男の中の男」とは、エスパーさんや山田さんのような「仕事人」のことを言います。
自分の役割を見極めて、黙々と従事しているわけです。
(だから、この書き込みの中でも必ず「さん」づけにしています。)

さて、冒頭の話に戻ります。
番組の内容は、エスパー伊東さんに対する「ドッキリ」仕掛け。
不正を持ちかけ、心が揺らぐ様を「あざけり笑う」という主旨でした。
少しの間ですが、観ていてすこぶる不快になりましたので、すぐにテレビを消しました。
こういうスタンスで番組を作るのが、「お笑い」や「バラエティ」と言えるのか。
「失敗すれば芸能人生命が無くなる」とか、さんざん恫喝した上で、エスパーさんの心が揺れるのを眺める。
エスパーさんにしてみれば、切実な問題ですよ。

立場を替え、この番組のプロヂューサーに対し、「視聴率が15%に達しなければ解雇する」と言いつければ、どんな気がするでしょう。「出来なければスタッフ全員をクビにする。お前のせいだ」とも。
さらに、カウンターで視聴率を示すような「ドッキリ」を仕掛けたら、果たして笑っていられるかどうか。

この番組は、ただの「弱い者いじめ」です。
こういうスタンスの番組を「面白い」と思う視聴者がいると思うと、うすら寒い思いがしました。

早速、プロデューサー以下の名前を調べメモを取りました。
このノートの題名は「初対面でいきなり殴っても良いヤツ」リストです。

この番組のような価値観は、日本人の文化にはそぐわないですね。

まあ、批判は山のように届くことでしょう。
番組はじきに終わるようですが、当たり前です。
「芸人」本来の意味でなら、司会をしていた漫才師2人よりもエスパーさんの方が上だと思います。
売れているかどうかは問題ではなく、「生き様」「立ち位置」としてです。