◎ ウッディ・アレン
ウッディ・アレンの人となりを描いたドキュメンタリーを観ました(『映画と恋とウッディ・アレン』)。
アレンは最初、ジョーク作家で、その後自ら舞台に立ち、徐々に映画を作るようになったことや、あの『アニー・ホール』以後どうしていたか、について着目しています。
アレン監督は「癖のある」作り手で、「好きな人は好き」だが、「嫌いな人は大嫌い」と評価される人です。あまりにも都会臭いので、おそらく7割くらいが「嫌い」と答えるのではないでしょうか。
ドキュメンタリーは2部構成ですが、前半は幼少期からの人物伝で、後半に入ると、ようやく製作者の意図が見えてきます。
2000年以後、この監督は「鳴かず飛ばず」の状態だったのに、つい数年前に『ミッドナイト・イン・パリ』で復活しました。
その「失われた十数年」の中で、「彼が何を考えていたのか」ということに着目したわけです。
アレン監督は、毎年1本ずつ映画を撮ったので、今では40本に及んでいます。
その中で15年くらいは「沈黙」していたようなものなのですが、何を考えていたのか。
それを本人が語っていました。
●「小さく当てようと思わないこと」。
分かりやすく解釈すると、「受けをとりに行こうと思うな」に近いです。
客や評論家への受けを考えて映画を作るようになると、すぐに行き詰る。
●「自分の作るべき映画を作ること」
観客動員数とか評論を見聞きすると、どうしても左右されるので、一切耳に入れないようにする。
●「映画会社に損をさせない」
上2つでいて、かつソコソコの当たりを継続して出すのは難しい。 だから、監督・脚本家としてのギャラは僅かに抑えるそうな。興行利益が少しでも出れば、映画会社は「次の映画」を作ろうとするし、作らせてもらえる。
確かに、贅沢をしている雰囲気はないし、「セレブ」っぽくもないですね。
拝金主義ばかりの米国人にしては珍しいです。
アメリカ人の典型的な姿は、トランプみたいに、下品でがさつ、成り上がりなのに人を見下す拝金主義者ですね。
監督は淡々と「わが道を行く」人生路線のようですが、最後に「何百万人が足を運ぶような映画を撮りたい」とも言っていました。
話の流れから見て、客の数とか売り上げの話ではなく、「たくさんの人の心を揺さぶろう」と言う意味ですね。
あと、「いつか自分自身が満足できる映画を撮りたい」とも。
今までのは何一つ満足できる作品ではないそうです。
ここで、なんとなく、母が自身の担当するコンビニを閉めることになった時のことを思い出しました。
母は「次に店を持つ時には、絶対に上手くやってみせる」と言いました。
この時の母は65歳を過ぎていたと思いますので、少なからず驚きました。
もちろん、「金を儲ける」というだけの意味ではないですね。
自分が思い描いたやり方で、という点はアレン監督と同じです。
人生のお師匠は目の前にも居ました。
ところで、アレン監督はダイアン・キートンやミア・ファローの「彼氏」でした。
男を見る目のある女性に惚れられるのなら、それだけで十分に成功者だと思いますが、私生活にはあまり興味が無いらしく、何度も結婚・離婚を繰り返しています。