◎やはり下痢をする
御堂観音に行き、泉水を汲んで帰る途中で、叔母の家に寄り、少し分けて上げました。
「初めての人は下痢をするかも知れませんが、そういう人は病気が治る可能性があります」
「そうなの」
伝え聞くところによると、叔母は従妹らに、「飲んでも大丈夫か」と相談したらしいです。
でも、結局、飲んでみたとのこと。
今日の夕方、その叔母が報告に来ました。
「お湯を沸かして飲んだら、すぐに下痢が始まって、トイレに3回行ったよ」
半ばはクレームめいた口調です。
「それは良かったですね。俺は最初に飲んだ時にズボンを汚すほど酷い下痢をしたのですが、程なく筋膜腫が完治しました」
たまたま、その場には別の伯母が来てたのですが、ここで口を挟みました。
「私も飲んだけど、別に何ともなかった。生水で飲んだんだけどね」
当方は大笑い。
「そりゃ伯母さん。伯母さんが健康だってことですよ」
その伯母にはまったく持病がありません。
水を届けたほうの叔母には、「反応が出たのは良くなるという暗示かもしれないが、それは同時に悪い所があるという意味でもあります。病院に行き、検査して貰う必要がありますよ」と伝えました。
叔母は冷やかし兼クレームのために訪れたのですが、その時には冷静に聞いていました。
「人によって効能があったり無かったりってのは、どういうことなんだろうね」
「そういうことが『あるかも』と信じられるかどうかが関わっているようです。信じられない人にはただの水で、そもそも飲んだりもしませんけどね。俺の心臓と腎臓が治ったら、いよいよ本物なので、今はそれを祈願しています」
成分は普通の地下水で、きれいな真水を摂取する他に意味はないと思いますが、人によっては劇的な効果をもたらすことがあるのではないかと思います。
とりあえず、心臓の調子は悪くありません。
ちなみに「願望を持つ」ことは「信じる」こととは違います。病気が治って欲しくて、神社やお寺にお詣りすることが信じることではないので、難しいところです。