日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎何ごともどっちに転ぶかは紙一重

◎何ごともどっちに転ぶかは紙一重
 今、話題の友井さんは、仮面ライダーアギトのギルス役だった。
 娘が小さい頃に、一緒にテレビを観たので、顔に記憶がある。
 今の出来事を見て、つくづく、「表と裏、どっちに転ぶか分からないもんだ」と思う。

 友井さんは、たぶん、「石にかじりついてもこの道で成功してやろう」と考えていた。
 ライダーの後は泣かず飛ばずの時期があり、普通は役者を辞めてしまうのだが、それでも辞めなかった。
 その間、生活しなくてはならないから、その手段のひとつが女性だった。女性に夢を見て貰い、その代わりに自分の方は生活の面倒を見て貰う。
 そう割り切れば「仕事」と同じ。ホストと何ら変わりない。
 客に喜んで貰えば、別に問題はない。
 だが、もちろん、なかなかそうは割り切れない。
 愛情が薄いからつい殴るし、愛情が薄いから、勝手に金を引き出して遣ってしまう。

 ホストは客に手(暴力のほう)を出したらアウトで、了解を得ず財布に手を突っ込んでも、やはりアウト。そんなホストはいない。
 そこをわきまえれば、今みたいなことは起きない。
 役者でも芸人でも、成功した後で、「糟糠の妻」と別れて、新たに美人妻を娶る者は多い。でも、線を踏み越えていなければ、訴えられたりはしないもんだ。

 その辺は、役者でもあったのだから「誠意があるふりをする」必要があった。
 「愛情はあるが、諸般の事情で別れねばならない」と偽装する必要があった。
 そこを怠るから、相手が恨みに思う。
 この辺は、気配りひとつで印象はかなり変わって来る。

 当方の友だちの「コウちゃん」は、彼女が風俗嬢をしていた。コウちゃんは自己抑制が出来ないタイプだから、彼女が貯めた2千万を、1年半もしないうちに使い果たした。
 コウちゃんは、若い衆の面倒を見るためにそれを遣ったのだ。彼女にすれば、自分とはまったく関係ない話だ。
 それでも、傍からは双方とも幸せそうに見えた。
 他の者には分からないような深い愛情があったからだと思う。
 本人同士が納得しているのであれば、他人が口を出す筋合いではない。

 友井さんは半ば成功を手にしつつあったのに、総てを失う。
 身の処し方を間違えなければ「苦労人」「やり遂げた人」と呼ばれたろうに、まさに紙一重だ。
 友井さんは「しくじった人」だが、過去十五年以上の苦渋の日々が目に見えるよう。だから、つい「さん」付けになる。

 「DV」とか「使い込み」とかの文字を読んで、エラソーに断罪する輩が本当に多いが、「お前のようなぐうたらな生き方をしているヤツが、何をえらそうに」と思ってしまう。
 ほとんどの者は、食えぬ暮らしを2年も我慢出来ず、すぐに諦めてしまう。
 そういう者の言葉には重みがまったく無く、何ひとつ響かない。伝わるのは、踏みしめて来た道の軽さだけだ。

 わざわざ紅白が終わるまで暖めて、「株が上がったところで、落とす」という手法で、メシを食うヤツは、女に食わせて貰い、つい殴ってしまう者よりも、よっぽど悪質だと思う。
 ひとが道を反れそうになる時には、「お前は悪人だ」と断罪するのではなく、まずは「道を外れたらダメだから、きちんと戻るように」と諭すもんだよ。
 「線を出たからお前は犯罪者」みたいに言うのは、到底、正義ではない。