日刊早坂ノボル新聞

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第2話(怪異譚) 小柳沼の怪物の話 (御明神村:雫石町に伝わる伝説)

第2話 小柳沼の怪物の話 (御明神村の伝説)

 御明神村は、昭和30年まで存在したが、町村合併で現在は雫石町の一部となっている。この話は明治33年7月18日に実際に起った話として記録されているため、記述が細に入っている。

 今は昔。その日は朝から晴天であった。ちょうど盆の時期であったから、人々は午前中だけ働いて午後は休んでいた。山を越えた向こうの方で、かすかに雷かと思われるような音がたまに聞こえるだけで、申し分のない天気であった。
 この日、橋場部落の若者等が五、六人集って、朝早くから何か相談していたが、朝食後になると各々が道具を肩に担ぎ、目立たぬように一人二人と小人数で、小柳沼を目指して出発した。小柳沢に沿って一里ほど山を登ると小さい天然湖が1つあったのだが、それが小柳沼で、この沼は昔から誰1人として網を入れたことのない沼であった。
 この沼に棲む魚を捕ると、きっと異様な生き物が出る。暴風か起こり、大雷雨が襲来するという言い伝えがあったので、洪水や怪物を恐れて誰も網を入れなかったのである。
 このため魚は誰に獲られる事もなく、繁殖していたので、この沼を通りかかった人々は、湖面に浮かぶ魚群を見で羨望の涎を流した。
 この日、沼の豊富な魚群に目をつけた村の若者たちは、若者なりの元気にまかせてこの沼を干すことにしたのである。まず始めに、持参した鍬や鋤で溝を通し、沼の水を小柳の沢に流し出した。カンカン照りの日で、風も全くなく、沼の水も空の色のごとく青く、何の変化もなく沼の水は段々引けていった。 
水が下がってくると、大行列をなして泳ぎ回る魚群の姿が明らかになってくる。

 昼頃になって沼の底の水草も頭を出し始めた。周囲の様子が変なのに気づいた魚たちは水面からピチピチ跳ね出した。これを見た若者たちは、思惑通りの展開に皆満足気な表情になっている。
 沼の底の魚に気をとられていたので、若者たちは空の模様が急に変わったのに気付かなかった。
 水底が現れると共に、魚が白い腹を見せ出したので、いよいよ各自が網を持って沼に入ろうとした。
 その時、天空で大火花が散り、稲妻が空一杯に走った。ほぼ同時に耳もつんざくような大きな音がした。稲妻も雷も四方の山じゅうに響いて物凄い光景となった。
 若者たちは空の模様が変わっていたのに、ここで初めて気が付いた。

 雷鳴が山谷中を震わせた後、すぐさま雨が降り出した。空が光る、雷が鳴る。
「さては、言い伝えはまことのことだったのか」
 若者たちは恐怖感を覚え、沼から後ずさりする。
 この時である。
 水面が急に泡立ったかと思うと、沼の中から異様な姿の生き物が現れた。岸をずるずると這い上がって来る姿は、牛のようでもあり、大鯰(なまず)のようでもある。それは、これまで見たことも聞いたこともない巨大な怪物であった。
 若者たちはわっと声を上げ、一斉に駆け出しその場を離れようとした。
 しかし怪物は若者たちの後を追ってくる。岸に上がってからは、まるで熊のような速さである。
 若者たちは生きた心地がせず、道具を投げ捨て、一目散に沢の出口まで逃げて来た。後ろを追いかける怪物の足音はここに来てようやく聞こえなくなっていた。

 その時、既に小柳沢には溢れるような大水が出ていた。濁流は木や草、小柳沢に架かる橋を矢のような勢いで押し流していた。
 若者たちは、この様子を見てしばし立ち止まって相談した。
「この嵐はとても止みそうもない。きっと他の沢でも水が出たに違いない。するとこの村は大洪水になるに決まっている。人死にだって出るかもわからない。そこでもし、沼で起きたことを正直に話したら、俺たちはどんな目に遭わされることだろうか。どれだけ恨みを買うことになるだろうか。なら、この先どんなことがあっても小柳沼を干したことは言わぬことだ。たとえ死んでも語らぬことだ」
 若者たちはそれから別々に分かれ、数人ずつ素知らぬ振りをして自分の家に帰った。
家に帰ると、家人は洪水を恐れ、皆が逃げる仕度をしていた。

 この日、午前は晴天だったのだが、午後の雨で瞬く間に洪水が出て、村中が大損害を蒙った。
 不思議なことに、川上にある橋場が甚だしい損害を受けたのであった。ここでは民家もいくつか流れ、人も四、五人ほど溺死した。当日の夜になると洪水は収まり、翌朝は晴天であった。
 村人が総出で確かめてみると、死骸が川岸のあちらこちらに上っていた。

 村人たちは川上の橋場だけ流れたことにつて不思議に思っていたが、誰も原因を知らなかった。それでも、いつとはなしに噂が立ち、村人のうちの誰かが小柳沼を干したのだろうということに落ち着いた。
 しかし、当事者の若者たちは口をつぐんで語らなかった。その後、5年、10年と時が経ち、沼干しに加わった人々は1人死に、2人死にしたが、誰も死ぬまで一切語らなかったということである。
 もし他の人が冗談にでも「あれはお前たちがやったことではなかったのか」と聞くと、非常に立腹したものだと言い伝えられている。

 それからは、いよいよ恐しがって、この沼に手をつける人は誰もいない。沼には誰が放したか、五尺くらいもあるような緋鯉がいて、天気のよい時は悠々と泳いでいるそうである。沼は昔のままであるが、そんな事など知らぬ様な風に、気味の悪い沈黙を守り藍色の水を湛えている。
 はい。どんとはれ。

<ひと口コメント>
 明治33年というと西暦では1900年で、現在から百年ちょっと前の話です。採録は昭和の始め頃だろうと思いますので、事件発生からまだ30年くらいしか経っていません。
 よってこの話は、昔話というより「つい最近のできごと」として記録されていました。沼の底から上がってくる牛のような怪物は、江戸期の妖怪譚よりはるかにリアリティを感じさせます。

岩手県御明神村:現雫石町に伝わる伝説)
出典:岩手県教育会岩手郡部会『岩手郡誌』(1941)より