日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

活字の影響力(失敗談)

 新聞連載の「北斗英雄伝」11章で、東中務信義と四戸中務が同時に出てくる場面があり、どちらも中務(なかつかさ)では紛らわしいと思い、ここだけは東信義と四戸中務と書き分けることにしたのです。
 ちなみに、この東は一般的な呼称は「東中務」になってます。この天正末期の時点では信義で、その後、朝政に名前を替えるので、後の九戸戦について書かれた書には、大半が東朝政としてあります。
 九戸戦については、実際の戦が終わってから70年以上経って書かれたものが最初なので、その間に生じた変化は、取り込まれています。しかし、江戸に入ってから生じたことが、天正年間にあってはおかしいので、なるべく元の状態に戻すように努力しています。

 例えば、「金田一」は江戸に入ってからの呼称で、天正年間には別の呼び方をしていたことになります。これは不詳。
 そこで、この地の城主である四戸の名を使って、「四戸」を使おうとすると、地名としての「四戸」は元々、櫛引付近のことを指していたので、不整合になります。「四戸城」と呼ぶと、八戸の近く、櫛引城や法師岡館の近くの感じになってしまうのです。
 仕方なく、四戸氏の本姓が武田であることから、金田一にある四戸中務の城のことは、四戸武田城と呼ぶことにしました。

 これで、なんとか整理がつきそうだったのですが、肝心の東中務を東信義と書き改める段になり、うっかり東「直義」とキーを打った箇所があり、これがそのまま活字になってしまったようです。
 直義は、桜庭安房(子の方)か南ですねえ。
 年度末の多忙な時期にあたっており朦朧としていたのと、ちょうど並行して前半部分を書き直していたためで、完全なうっかりミスです。

 さっそく、数件ほど「表記ゆれがあるみたいです」と電話がありました。
 スゴイ。私の事務所の電話番号を、どこで調べたのでしょう。
 それ以上に、毎日関心を持ってこの連載を読む人が、少なからずいることに、びっくりします。

 しばらく前に、同じ回が2日続けて掲載されたことがあったようですが、編集の電話が朝のうちにかなり鳴ったとも聞きます。 
 もはや、私個人のものではなくなりつつあるのでしょうか。
 嬉しいような、幾分途方にくれるような複雑な気持ちになります。
 「継続は力なり」という言葉がありますが、連載はまだ折り返し地点を回ったばかりで、これから先はまだ長いです。
 常に強行スケジュールの中にいますので、今回のしくじりは今後も起こりそうな事態です。
 十分に気を引き締める必要がありそうです。

 この章では、紅蜘蛛の生い立ちが書かれており、悪人にも悪人なりの言い分があることがわかります。
 紅蜘蛛は、いわゆる嫌いになれないキャラですね。もちろん、物語の初めの方で死んだ赤平兄弟もまた然りです。
 紅蜘蛛には、連載の後段にて、立派な花道を用意しています。