其の十九 北斗妙見の章 要約(その2)
蒲生軍が口火を切り、宮野城への総攻撃が始まった。布陣はそれ迄と同じで、南から大手門方面へは蒲生軍主力と堀尾勢が当たった。また東からは井伊、浅野勢に加え、蒲生の増援軍が取り付いた。
この日の攻撃は包囲陣の内二万八千人で、残り一万人は二番三番備えや小屋番でやや後方に待機していた。
氏郷の怒りを代弁するかのように、蒲生軍は東南の双方向から最前線に立ち、郭内突破を目指して真っ直ぐに進軍した。
この内、数十人が若狭館への侵入に成功した。
久慈中務は館表門の内側に仁王立ちに立ち、門を開こうと走り寄る敵兵に自ら応戦した。
配下の兵たちは、次々と寄り付く敵兵に応戦する為、何時の間にか散開し、中務の周囲には誰もいなくなっていた。
そこへ敵兵が一人また一人と寄り付き、五人で中務を取り囲む。
これに気づいた畠山重勝の目前で、久慈中務の背後に敵兵が走り寄り、その背中を刀で刺し貫いていた。
八月晦日未の刻。久慈中務、若狭館にて討死。
天正十九年九月一日辰の下刻。
蒲生本陣に諸将が集まり、軍議が開かれた。この軍議では、死傷者の数や軍備の状況など、各陣からの現状報告が為された。
征討軍が直面していた第一の問題は、自軍の死傷者の数が敵陣をはるかに上回っていることである。
沼宮内攻撃以後の戦では、征討軍は敵九戸方の死傷者の二倍を超える損耗を生じさせている。
このままの状態では、例え城を落とす事が出来たとしても、実質的には負けに等しい。
その辺、今の関白秀吉は己の名を汚すような事態を見逃す事は無い。関白に落ち度があると見なされれば、首を切られてしまうことになる可能性すら無い訳ではない。
二つ目の問題は兵糧不足である。兵一人が一日に雑穀を五合食べるとして、総勢六万人を越える征討軍では、少なくとも日に三百石、すなわち七百俵の穀類が必要となる。これは馬積みでは三百五十頭で、牛車ではほぼ七十台に充当する。
この量で僅かに一日分である。
軍備兵糧は本来、各陣が自前で支度すべきものである。しかし、如何せん大軍の遠征でもあり、十分な準備が出来ない。遠征地で調達しようにも、二戸九戸は元々作物が多く採れる土地ではなかった。
仮に出羽津軽など隣国から牛車で運ぶとなると、五日程度の日数が掛かる。これでは間に合わない。
戦はすっかり膠着し、日一日と伸びて行く。もはや兵糧の底が見えて居り、各陣に供給される量は激減していた。
三つ目の問題は、この地の寒さである。
とりわけ、この数日は急な寒波が押し寄せており、兵たちが難渋している。
六万を超える大軍である。手近な山の柴や朽木は既に採り尽くして居り、暖を取る薪が払底していた。
征討軍の兵たちは、空きっ腹を抱えるだけでなく、夜の寒さを凌ぐのにも苦労するようになっていた。
天正十九年九月二日巳の刻。
宮野城の大手門の前には、僧二人が立っていた。 薩天とその連れの慧海である。
半刻の後、二人は本郭の中にいた。
目前には城主の政実が一人で座っている。二人の五間後方には、政実の弟の隼人正実親、櫛引清長、大湯四郎左衛門、七戸家国ら有力な侍大将が控えている。
薩天は懐から一通の書状を取り出した。
「軍大将が自ら名を書き入れた書状にござります」
「ふむ。どれ、読ませて貰おうか」
若侍が歩み寄り、薩天から書状を受け取り、政実の許に届けた。
此処で政実が口を開く。
「この戦。敵を数多く倒す事が勝つ事ではない。この地に生きる者の命をなるべく損なわずして、この後二度と関白の兵が攻め込まぬようにする事。それが成された時、初めて勝ったと言えるのだ」
「はい」「はい」
「和尚。敵の本陣に行き、明日わしが自ら話をしに赴くと伝えよ。皆はかねてより申し伝えた手筈で支度せよ。明日明後日が、その時だぞ」
「はい」「畏まりました」
政実の有無をも言わせぬ圧力に、居並ぶ侍たちは、揃って床に手を付き拝礼を返した。
一刻の後、薩天は再び蒲生本陣の中にいた。
「九戸さまは、明日此処にお出でになられます」
「一時はどうなることかと思ったが、九戸将監も案外簡単に応じたな。薩天殿。将監殿は何か申していたか」
長吉が訊くと、薩天は返答を一瞬躊躇した。長吉がその表情を見て重ねて問う。
「何か申して居ったのか」
薩天は此処で腹を決め、口を開く。
「己の命など、何時でも蒲生さまに差し上げる、と申されました」
これを聞き、氏郷と長吉は、二人揃って薩天に向かい丁寧に頭を下げた。
(要約その3に続く。)
(備考)19章はこれまでの3章分のボリュームがあります(ほぼ単行本1冊分)。
「北斗英雄伝」ウェブでは前後半に分けましたが、こちらの欄ではそれでも入りきれず、「その1~3」に分けるものとしました。