日刊早坂ノボル新聞

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競馬のアガリに課税

少し前に、馬券の運用で、投資よろしく20億円前後の資金運用した人が脱税で摘発された「事件」がありました。
遅ればせながら、その周辺について雑感を記します。
 
この犯人(?)が捕まったのは、馬券をネットで購入したため、逐一記録が残ってしまったこと。
おそらくネットで評判が立ち、税務署がこれに目を付けたということでしょう。
あるいは、銀行の口座を経由するので、20億円が動けばさすがに目に留まります。
 
馬券の購入と的中券の払い戻しは、本来、法的に「競馬場の中」が想定されています。
バクチは「貧乏人の麻薬」で、競馬の場合も、ほとんどの人が「負けて帰る」仕組みです。
たまに浮きが出た時に、「当たり馬券の直接の購入費用」のみが経費として認められるのでは、さすがにやっていられない。
ま、この辺は、法律を作る側(政治家)も、それを解釈する側(法律家)、はたまたそれを執行する税務署員も、バクチに依存する生活を送ってはいないので、理解を示すことはないでしょう。
 
ところが、ネットでなく競馬場でやり取りする際は、税金を払う必要はありません。
JRAには大口払い戻し者の氏名等の申告義務がないのですが、これはすなわち払い戻し者自身も申告しなくて良いということです。仮に窓口で「税務署の指導により、氏名住所をここに書いてください」と言われたとしても、「そんな義務はない」と言えばいいのです。
(現実には、大方の予想と違い、そんなことは言われません。)
まあ、競馬場には「コーチ屋」を含め不良がたくさんいるので、大口換金窓口には並びたくないでしょう。
このため、慣れた人は、当てた時に機械で換金できるように、一度の払い戻しが百万以下になるように馬券を刻んで買います。(その都度千円札が混じるので、場合によっては結構な枚数になりますので、買い物袋等の用意が必要になります。)
 
競馬場の中では課税されないのに、ネットでは課税対象になるなんて、変じゃないかと思いますね?
実は税務署も積極的に課税する意思はないのですが、証拠が残るので致し方なくやっているのです。
 
この辺は宝くじを引き合いに出せばわかり良いです。
米国では、宝くじで何百億円の高額賞金が当たるしくみになっています。
この国は、国民の1パ-セント以下の資産家が、富の大半を支配できるような仕組みの国で、国民の間に、恐ろしいほどの所得格差があります。
貧困層は保険に入れず、医者にもかかれない。かたや金持ちは、金を右から左に動かすだけで、何万人分もの利益を得ます。
これは資本主義の構造的なものなので、もしこの状態を放置するなら、必ず暴動が起きます。
昔から「一揆」はいつの世にも起きて来たし、それなりの正当性も持っています。
 
お金持ちは一揆で殺されてはたまらんので、財も才能もない貧乏人でも「一夜にして金持ちになる夢」を与える。
くじの賞金は貧乏人たちが自分で払うので、金持ちたちの懐は痛まない。
そのために、宝くじを高額に設定しているのです。
目的が「貧乏人の慰撫」なので、高額当選者の氏名は必ず公表されることになってます。
皆に周知し、「お前にだってこういうチャンスもある」と、ウソのアメリカンドリームを与えないと、金持ちが襲われてしまいます。
日本でも、同じように宝くじの高額化傾向が強まっていますね。それは格差がどんどん拡がっているからです。
 
ギャンブルは宝くじと同じです。
勝って帰る人は是が非でも必要で、これがいないと客入りに影響が出ます。
このため、競馬場の「誰か一人の客」になってしまえば、税金を払う必要はありません。
国の方も、今回のように投資として運用するのではなく、貧乏人がやっている限りにおいては、あまり問題にしたくないところ。
掴まった人は、ギャンブルではなく、「運用」として成功できたので、見逃すわけにはいかなくなった、というわけです。 
 
ここで、お金のやり取りの構図を、国、JRA、馬券を買う客といった3つの立場に集約して考えると、見え方が変わってきます。
競馬は生産的活動ではなく、客から集めたお金を、国とJRA、さらに客で再配分するしくみです。
付加価値はどこにも生まれません。
JRAは売上から20数パーセント控除して、その残りを的中馬券に戻します。JRAの売り上げには、当然、国が課税するわけですが、これは、客が「お金を預けた」時点で税金を払っているのと同じです。
ちなみに、預けた時に税金を払い、引き下ろす時にも税金を払うけれど、付加価値は一切生じないのでお金の総額は減るだけです。
 
公営ギャンブルが、宝くじと違うところを整理すると、重要なのは次の2点です。
まずは「二重に課税される場合がある」ということ。
また、時と場所により、税金を払わねばならない人、払わなくて済む人がいるということです。
こういう、人を選んで適用するしくみは、法的な問題が生じそうです。
純然たる民間企業ならともかく、公営で運営する場合は、本来宝くじと同じ扱いでよいのではないでしょうか。
あるいは、馬券を1点で買い、的中させる人はゼロなので、必要経費の枠を広げないと、実際の金の動きとは食い違ってきます。
冒頭の犯人(?)は、実質的なアガリが1億いくらで、税金が5億近い勘定でした。
これだと、競馬では「払うだけ」になってしまいます。
ただ取り上げるだけのバクチはヤクザ者でもやりません。
 
資本主義は本質的に、金を持つ者が持たない者から奪うシステムなので、お金を動かした時点で課税しないと公平とは言えません。
(この場合は、冒頭の馬券投資家に対して公平ではない、の意。)
「もっと、金の運用で利益を得ている奴らに課税しろよな」
「銀行とかも、手数料だけがバカ高いぞ」
こういうことは、もっと声高に言っても良いと思います。
競馬の場合、存在しない浮き金(アガリ)にまで課税されるのですから、それと比べるととても適正ではない。
 
まあ、そろそろ一揆とか下剋上が起きても不思議ではないご時世だろうと思います。
宝くじの賞金の高額化なんぞに騙されてはダメです。
日本でも、ごく一部の金持ちが政治家・役人と結託して、利益を独占しているのです。