神社に参拝した時に、日記のように記すのが習慣になってます。
もし書かずに置き、参拝回数が跳んだら、読んだ人に「ズルしたな」と思われるかも。
そんな気分になり、行った際には書かねばならないような気分になっているのです。
困ったもんです。
さて、木曜日には「百回詣」を始めてから16回目の参拝です。
台風が迫っており、直前にざざっと雨が降ったのですが、車を降りる頃には上がりました。
人徳かしら(笑)。
いつも同じ場所を撮ってもしょうがない。
しかし、隅々まで承知していますので、写真を撮る素材が見つかりません。
まあ、まだ登ったことの無い「お山」でしょうね。
階段は見えるし、時々、人が上っていますので、何か祠のようなものがあるのだろうと思います。
しかし、現状、私の状態では上まで登り切ることが出来ないでしょう。
「あれは、単純に標高差で百旦瓩はあるよな」
坂道を15分の道程。果たして心臓がもつかどうか。
「まだ宿題だよな」
少し散歩の距離を長くして、足を慣らしていく他は無いようです。
境内では、七夕飾りが撤去されていました。
「もはや七夕の時期も越えたわけだ」
時の過ぎ行くスピードに、取り残されてしまいそうです。
帰り際に、鳥居の前で写真を撮ったら、また上の方に白い玉が写りました。
よく見ると、木の枝を切った痕ですね。
ああ良かった。
年輪がかすかに見え、放射状な模様になっているので、煙玉の可能性もわずかにあると思っていました。
その割には、位置が同じところにあるので、「違うだろうな」とも。
煙玉はいざ出始めると大量に現れ、何かを暗示する場合があります。
私の場合は、「大病の前触れ」のことが多かったので、不安になってしまいます。
不安になったり、心中に怒りが溢れている時には、神社に参拝すると心がスッと静まります。
参拝の効用は、まさにそういうところです。