彼岸の中日を越えたので、「おそらく巾着田の人出も収まりつつあるだろう」と見て、百日詣に出ることにしました。
ところが、日高に入った辺りから気分が悪くなり、コンビニの駐車場へ入ります。
「この具合の悪さは一体何だろ?」
心臓?肺?それとも低血糖?
患部が多いので、どこの調子が悪いのかわかりません(苦笑)。
ひとまず、そのまま休憩します。
「もはや家人が傍にいてくれないと、外出もままならないのか」とがっくりします。
小一時間が過ぎ、何とか動けるようになったので、「早いとこ参拝だけ済ませて帰ろう」と出発しました。
家を出た時点では、参拝の後、日帰り温泉に行き、帰路には買い物をしようと思っていました。
ま、この状態では致し方ありません。
ヨレヨレで神社に入り、手を合わせます。
願い事は、「あと半年で良いので体が持って、原稿がひと区切りするところまでやらせてください」でした。
これまで、南部利直と北十左衛門のいきさつを度々前振りして来ました。
やはり、行き着く先の話を書かねば落ち着きません。
この2人は年齢が近かったせいか、度々衝突した模様です。
もちろん、片方は藩主で、片方は家臣の立場。
家臣と言っても、北一族は親戚で、さらに十左衛門は義父が北信愛という家臣団の重鎮だったので、足蹴にするわけにも行きません。
南部利直は、家臣の1人が無礼な振る舞いをした事件を利用して、北十左衛門を叩こうと考えました。
あろうことか、わずか十数歳だった十左衛門の息子に「あ奴を殺して来い」と命じたのです。
主の命に従ったその子は、もちろん返り討ちに遭います。
北十左衛門はそのいきさつに腹を立て、大量の金を馬に積んで逐電します。
次に北十左衛門が現れるのは、大阪の陣。
「南部十左衛門」と自称し、豊臣方に加わっていたのです。
かたや南部利直は徳川方なので、当然、周囲から「あれは誰だ」「お前の身内か」と質されます。
戦が終わった時、十左衛門は捕縛され、南部利直の前に引き出されました。
利直は十左衛門の両手両足の指を一本ずつ切り落とさせた後に、最後は自ら弓で射殺しました。
よほどの怨讐を感じていたということです。
笑えるのは、後代になり南部藩の役人が書いた物に、「戦の際には血を残すために、親族を敵味方に振り分ける。北十左衛門は利直の意を汲んで、あえて敵方に参じたのだ」とするものがあります。
バカを言ってろ。
将来、戦が起こることを予期し、その時に備え、家臣の子を殺させるわけがありません。
未来を完璧に予知できる予言師でもいたなら話は別ですが。
これらは藩の威光を示し、あたかも利直が名君だったと思わせるため?の役人の下手な作り話です。
歴史は「生き残った者のための作り話」とはいえ、あまりにもひどい話です。
この辺はきちんと正す必要がありそうです。