日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

(日高・飯能) 高麗神社44日目の参拝

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29日の朝に目覚めて見ると、いつもより幾分調子が良かったので、百日詣を続行することにしました。
「まず最初は日帰り温泉からだよな」
体調を崩してからは、仮に温泉に行けても「10分入浴」になってますが、気分転換にはもってこい。
まず、どこへ行くかを考えます。
秩父長瀞方面は、移動距離を考えると、病人には少し遠そう。
ましてや今日は単独行です。
周辺のサイボクや入間は、天気の良い日は客が多いかも。
結局、名栗の大松閣かさわらびの湯になります。
なにせ平日は空いてますからね。
お腹が空いてはいませんでしたので、後者にしました。

温泉ではうっかり長く浸かり過ぎたようで、休憩室に座るとすぐに寝入ってしまいました。
その辺、「他の客への迷惑」という配慮が不必要なので、堂々と体を伸ばして寝ました。
「イケネ。ニトロ錠剤を忘れて来た」と気がついても、もはやここまで来ると起きられません。
次に目が醒めたら、もはや夕方でした。

温泉を出て、高麗神社に着いたのは6時近く。
案外、まだ参拝客がいました。
ようやく44回目で、百日祈願の成就まではまだだいぶ遠いです。

帰宅して、家族の夕食を作りました。
自分自身は、夜はお茶漬け程度なので1人分少なくて済みます。

日帰り温泉であんなに寝たのに、居間に座ると同時にまた寝込んでいました。
もはや、「座ると寝てしまう」のは習慣になってしまったようです。
大震災の後、家族全員が居間で寝ていた時期があります。
あれから何年も経ちますが、私だけそのまま居間の一角で寝起きしています。
その場所が、この家で一番、「夏は涼しく、冬は暖かい」ことがわかったからです。
家族もそのことを承知しており、各々疲れると、父親のスペースに来て寝そべります。

家人によると「お父さんはこの世で一番幸せな父親だ」とのこと。
その理由は「20歳を過ぎた娘たちが、父親と並んで寝ていることがあるから」らしいです。
確かに、たまに川の字になっていることがあります。
家人は「普通の家庭ではそんなことはありえない」と言いますが、他の家のことは知らないので、何とも。

この日はそのまま深夜まで居間で寝ていました。
すると、急に「ドンドン」という音がして、目が醒めました。
(あるいは「起こされた」です。)
時計を見ると、ぴったり2時を指しています。
「久々に来たかあ」
当家では、深夜のこの時間になると、玄関のドアを叩く音がすることがあります。
すぐに起き上がって見に行きますが、もちろん、誰もいません。
私の仕事部屋は玄関の真上ですが、仕事中でも、はっきり「ドンドン」とノックの音が聞こえることがありますね。

そのことは、このブログでも度々書いています。
頻度が高いので、つい昨日、そのことをネタにしたショートショートを書き終えたところです(「夢幻行」第5夜「扉を叩く音」)。
「深夜、ドアを叩いていたのは、私が思ってもみなかった来客だった」という話の流れです。
今日のは「そのままでOK」という意味でしょうから、明日、編集に送るものとしました。

さて、齢を取ると共に「思うようにならないこと」が増えて来ました。
とりわけ健康の問題は、宿命のように降り(襲い?)かかって来ます。
でも、ま、こんなもんです。
色々と難しいことが多いので、逆に楽しいことを見つかられるわけです。
そう言えば、この日高麗神社で手を合わせながら念じていたのは、祈願ではなく感謝でした。