日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第289夜 身辺の整理

夕方、居間の床で寝込んでしまいました。
これはその時に観た夢です。

近々、死ぬことになった。
持病が悪化して、医師より余命宣告をされたのだ。
残りは3か月程度で、おそらくその半分は病院だろ。
オレは高度医療を拒否するつもりなので、ホスピスで麻薬漬けになり死を迎えることになる。
ま、これも人生だ。
やりたいことはやったし、十分に楽しんだ。
財産を残さないのは、むしろ子どもたちのためになるだろう。
小金を残すと、それを当てにして、子ども同士で喧嘩をしたり、働かなくなったりするからな。

まずは資産整理だ。
オレは骨董が好きだったので、かなりの量がある。
これは1年以上前から計画的に進め、ほとんど処分してある。
残りは数品だ。
もちろん、その数品がオレのコレクションの中核で、十年は遊んで暮らせる金額になる。
これを知人にこっそりと売り、残された1か月半で使い切る。
もちろん、かたちが残らないような無駄遣いでだ。

ま、冷静に考えたら、金はそんなには要らなかった。
そこで、半分を現金に替え、残りの骨董の半分は親を早くに亡くし、苦労している子にくれてやった。
その子は知人の子で、その知人はオレの唯一と言っても良いくらいの友人だったが、あっさり癌で死んだのだ。
「いつか大学に入る時に、ここに持って行くといいよ」
オレの知り合いの骨董屋の名刺を渡した。もちろん、先方にも伝えてある。
自分の子ではなく、親の無い孤児にやるところが、オレのオレたる所以だろ。
ま、へそ曲がりなわけで。

オレが死んだ後の段取りをやり終えたので、動けるうちに墓参りに行くことにした。
祖父母や若くして死んだ従妹など、全部の墓で手を合わせた。
あとは父母の所に行き、「お別れ」を言うか、言わずに帰るかだ。
半日の間考え、やはり両親の顔を見て帰ることにした。
もちろん、近々自分が死ぬことは言わない。
年老いた親でも、自分より先に子が死ぬ話は聞きたくないだろう。
あと少し経てば、いずれにせよ泣くことになる。
もし、オレの今の状態を伝えたならと、それまでの時間も泣いて過ごすことになる。

実家に帰ると、すぐに母がオレに鍵を渡した。
「これはお前の祖父ちゃんの形見だよ」
母方の祖父はもう30年前に死んでいる。
今頃になって形見分けなの?
「と言っても、たった10坪の土地だ。そこには古い物置がある。それをお前にやると言われていたのに、すっかり忘れていたんだよ」
ああ、あそこだ。
オレが小さい時に、何度か祖父に連れて行ってもらったことがある。

祖父は大きな農家で、広い田畑を持っていた。
その他に山奥に小さな畑があり、その隅に扉があった。
そこは昔防空壕だったが、祖父はそれを改造し、自分専用の物置にしていたのだ。
オレはそこの前までは連れて行かれたが、中に入ったことがない。
外には色んな虫や動物がいたから、そっちの方が面白かったのだ。
昔、祖父がオレに言ったことがあったな。
「お前だけに教えてやるが、床の下にもうひとつ部屋がある。それはお前にやるからな」
そうそう。祖父はそんなことをオレに言い置いたのだ。

でかい南京錠はなかなか開かなかったが、錆落としを掛けると、ようやく開いた。
中に入ると、古道具の類が雑多に置かれていた。
「誰か入ったんだな」
跡継ぎの家の者が先に入り、下見をしてあったのだ。

だが、オレは箪笥の下に扉があることを知っている。
箪笥を押し動かすと、やはり祖父の話した通りに扉がついていた。
オレはこの扉を引き開けた。
すぐ下に階段が見える。
カンテラに灯りを点し、オレは下に降りた。
すると、そこに置かれていたのは、山ほどの骨董品だった。

祖父は戦争の時に、大陸に渡ったり、南洋に行ったりしていた。
行く先々で骨董品を集めていたのだ。
「スゴイ」
20年前なら分からなかったが、今は分かる。

こりゃ、オレの余命じゃあ、整理しきれんぞ。
目録を作るだけで、一年は掛かりそうだ。
オレは決断と行動が早い方で、いざ腹をくくったら動じることは無い性格だ。
だが、ここで初めて、オレは呟いた。
「ああ、もう少しの間でいいからオレは生きていたい」
金が惜しいのではなく、「もっと深く知る」ことに未練があったのだ。
残りの時間はわずかだ。
果たしてその時間の中で、オレがもう一度腹をくくることが出来るかどうか。

ここで覚醒。

死期を悟ると、その時から、生きることの本当の意味を考え始めると聞きます。
ほとんどの人は「まだ死にたくない」と叫ぶそうな。
高齢になり、重い病気を抱えた人ほど、人生を見詰める時間が長くなるので、より大きな声で叫ぶ。
もはや、その辺まで実感としてよくわかります。